さらに冷え込みは厳しく

いろいろと思うところはある。
 かといって、その思いをすべて文字に変えたところで、それが今の私の思いを的確に表しているかと言えば、そうであるときもそうでないときもある。そして、ほんのわずかの時間のうちにその思いが消え、新たな思いが心の中を占めるときもある。
 でも、根っこの部分では、今までの人生の積み重ねによって固められているものもあることは自分でも感じる。但し、それが世間の常識、相場と思いこむほど若くもないし、また、これは子供の頃からの習性ではあるが、自分自身すら傍観している自分がそこにあったりする。なので、これは特に若い頃のことではあるが、何かに腹を立てることはほとんどなく、そして、心から何かに共鳴することも少なかったのではないかと、傍観者である私は私に伝える。
 傍観者の自分とそうでない自分のバランスの模索は今後も続くのだろう。