雉も鳴かずば打たれまい? 私は質問責めで身動きがとれません。

 どうも1月は出張が多くていけません。それにしても、この時期、いろいろと見えるものですな、いや、なんとなく、そのポジションというか、その、いろいろ。
 
 そういえば、最近夜寝ていて夢を見なくなったなぁ。歳のせいかな?
 
 ところで話はまったく変わって、myはてなアンテナ巡回で気になった話でも一つ。
 それは、かんべえの不規則発言の1月21-22日のホリえもんに関してなのですが、

 停滞した日本企業を動かすには競争が必要である。よどんだ水を、誰かがかき回してくれないと困る。硬直した経営陣を震撼させるような、若い力の登場が待たれていたのである。そして実際、ホリえもんが派手に暴れてくれたお陰で、プロ野球は活性化し、株式市場は明るくなり、企業は買収防衛にカネを使うようになったではないか。
 かつて始皇帝が倒れ、秦の帝国が動揺したとき、農民の陳勝呉広は「王侯将相いずくんぞ種あらんや」を合言葉に反乱を起こした。それが漢楚の興亡から漢の大帝国建設への幕を開けるのだが、ホリえもんの役割はしみじみ「陳勝呉広」ではないかと思うのである。

というご自身が昨年4月1日にお書きになられたものを、「ふと思い出して、昨年のエイプリル・フールに書いた溜池通信を読み返してみると、なかなかに味わいのあることが書いてある。とくに最後の部分。」と評価されているのですが、

 これは、強者の理論に映らなくもないように私には感じられます。よく若い頃、誰か人柱になってくれんかねとか、猫の首に鈴をつけてくれんかねという話がそこら中にごろごろしていましたが、そんなことをふと思い出してしまいました。あの頃はそんなことをつぶやきながらも、実際はそのような事をおっしゃる方々は自ら敵役をなさっていました。

 よどんだ水は、本来ならばよどました日本企業やその関係者がかき回さなければならないところ、その(今となっては)汚れ役を若い人や、そしてそのツケを一般株主に回すという結果になったのですから、それをよかったとは、私は到底思えません。どうしてもそういった外部の力が必要だったとしたら、それは自浄能力がなかったという証(あかし)でもあるわけで、であればこそ、そのツケが向かう先が、よどんだ水を生んだもとへと向かわないことに不思議さを感じるとともに、一般庶民の負った傷は誰によってどのように癒されるのかということをとても心配します。
 また、もし仮にその若い人が実施した内容が犯罪性を帯びたものだったとしたら、たとえ総体としての結果として日本企業のためによかったということが客観的に実証されたとしても、その不健全さによって支えられた日本企業というイメージや、若い人は捨て駒?というイメージが世間につくことが、将来を支える若い人にどのように受け止められるのだろうかと考えた場合、果たしてプラスだったのかなぁという感想をも持ち得ます。

 それに、プロ野球が「スポーツ」から「興行」へと移行せざるを得ない雰囲気になったと私には思えるのですが、もしそうだとしたら、将来的にそれでよかったといえるのかどうか、少々不安だったりします。
 「スポーツを盛り上げるための興行」と「興行のために実施されるスポーツ」とでは、子供の目で見たときに、将来の夢として目指すべきものを考えた場合、明白ではないでしょうか。

 さらには、株式市場。明るくなったのでしょうか?アンケート調査の実施と結果の発表を期待したいところです。

 sigh〜〜〜