今を表す言葉とそれに反応する人々、そして情報操作(1)

 ここ2週間、自分でこの日記を書きながら、どうも引っかかって気になったことがあります。特に今のネット上で話題になっている言葉、それには、「フランスの暴動」「階層社会」「貧困」「社会の屑」「生活保護」「右翼と左翼」「ヒルズ族」「若者」などがあります。
 例えば、フランスのサルコジ内相が「社会の屑」という言葉を発しました。それが一種の社会問題として取り上げられていて、かなりの批判を受けています。もちろん重要閣僚の発言としての是非という問題は残りますが、彼がこの言葉を向けた対象は、今回実際に犯罪を犯したものであり、また、これまでいろいろな犯罪(強盗、窃盗、器物損壊、薬物使用や販売、パスポート偽造、キセルなど)を犯した者に対してなのですが、一般市民にこれを発する場合、そうでない者、つまり、犯罪は犯してはいないが今回の暴動に参加した者などがこの言葉に反応したりします。俺たちを「社会の屑」呼ばわりするとはどういうことだ、といった反応がありますし、「彼らを社会の屑呼ばわりするとは何事だ」とどう考えても社会の屑の対象ではないであろうと思われる方々が反応します。この反応されている方々の反応された対象を見てみると、「暴動を起こした若者」全体であったり、「問題とされている郊外に暮らす若者」全体であったりして、「社会の屑」の対象が広がっていたりします。(私にとって、暴動を起こした若者が「俺は屑じゃねぇ」と反応するのは別として、「彼らを屑呼ばわりするのは何事」とおっしゃっている方の方が、仮定される「社会の屑」の対象範囲を広くとっているようですから、こういった地域に暮らす若者や暴動を起こした若者を差別的に見ているようにもある意味感じられたりするのですが、その話はここでは置いておきます。)
 ところで、落合弁護士がそのブログで、トヨタ奥田会長の「ヒルズ族はわきまえろ。」という発言に、

私も、「ヒルズ族」の端くれになるようですが、奥田会長に苦言を呈されるまでもなく、謙虚に生きているつもりです。

と反応されています。(2005-11-19
この奥田会長ヒルズ族は元記事(http://www.zakzak.co.jp/top/2005_11/t2005111802.html)を見れば、「ベンチャーの親玉のような連中」のことを指しているのがわかりますし、この落合先生の反応は落合先生流のジョークだと個人的には理解しているのですが、「反応」という単なる事象で見ればということでの例示です。(私は落合弁護士は「ベンチャーの親玉のような連中」には含まれないという認識なのですが、間違っているようであればどなたかご指摘いただけますと幸いです。その際は全面的に撤回したします。)
 なので、こういった社会的な話について、受け止め側によって解釈に違いが発生しそうな用語については、各種レポートなどでは、そのレポート内での定義を示し、その定義を前提として話が進められるのですが、マスコミの報道やブログ上の言論を見ていると、そのあたりが明確でないままエントリーが書かれていたり、また、コメント、レスのエントリーなどが付いていたりするように感じたりしています。(私のエントリーに関しての事象については、後で書き留めておきます。)
 具体的事例をいくつか示す前に、ここで、冒頭に示した「情報操作」という言葉にも触れておきます。
これは、英語で言うと、「disinformation」にあたるのですが、これは、「故意に誤った情報を流すこと」という意味です。
 この時狭義でこの言葉を捉えるならば、「False (incorrect) report」 や 「misreport(虚報)」を、わざと流すこととなるでしょう。この「故意」に流したかどうかについては、本人が告白しない限りは判断が困難ですが、間違った情報であるケースなどは、別資料などから指摘し、修正することが可能でしょう。
 一方で、この情報操作を広義で捉える場合、個々の情報そのものは正しいものであっても、その一部のみを伝えたり、伝える情報を意図的に組み合わせることによって、別の意味を与える可能性(印象操作等)がある場合があるでしょう。仮にこれを情報発信者が意図的に行った場合、個々の情報は正しいわけですから、これが情報操作にあたるかどうかを判断することは非常に難しいでしょう。世間ではそれを場合によって「釣り」と言ったりもするようですが、私個人の場合、「釣り」というのが体質に合わないため、本文の後に、「余談」などと表して個人的なバックグラウンド、例えば体験談や心情などを付け加えることにより、誤解をなるべく避けたいなぁと思っていたりします。そうであっても、これまでの私のエントリーについていろいろといただいたコメントやエントリーを拝見させていただいたりすると、本人が思うところと違った受け止め方があるなぁと思い、こんなことを書いてみました。
なお、ネット上に書かれているものについて、その多くは「誤った印象を与えようとして」書かれたものでは決してないと思っていますし、それぞれの皆さんの立ち位置やバックグラウンドによって、無意識のうちに情報の取捨選択が行われているかも知れませんし、また、単に別の情報を知り得ていないものだったりするのかも知れないぁと思っていたりします。

 以下、最近読んでいて、使われた用語言葉などについて気になった具体的事例です。(上に書いた情報操作の話とはまったく関係ありません。念のため。)

(1)「人種や文化差別が暴動を引き起こし、その暴動を非難すべく人々が右翼化していく危険性。」
 これも、先日の(暴動にまた燃料投下かよ、orz - antiECOがいるところ)と同じ村上龍事務所が発行しているメールマガジンとして配信されたもの([JMM 349Th]「対岸の火事」ロンドン〜スクエア・マイルから)の文中の一節です。
 この文章で使われている、「右翼化」という言葉の持つ意味をはっきりとイメージすることが私には出来ませんでした。歴史的にright wing や left wing といった言葉が使われてきていること、また、最近ネット上で聞かれる「ネット右翼」などという言葉がありますが、時代により、その意味合いに変化があるようにも思われますし、これと「保守」「リベラル」「ネオコン」などの言葉が入り乱れてくると、受け取る側がその意味を同じ意味合い、共通認識として捉えているのだろうかと不安になります。
 暴動を非難することにはいろいろあります。まずはこの暴動による被害者が困惑し、また、これを非難することは当然のことだろうと思います。私も事情はそれぞれであるにしろ、犯罪はよくないというスタンスを取ります。もちろん、それをル・ペン支持やサルコジ支持と結びつけて考えれば右翼化していく危険性と結びつけられる可能性があるということを無視しているわけではありません。ただ、それは、治安強化第一をその政策に掲げるのが彼らであるからであるからであって、その選択肢を選ぶ人が右翼化することとイコールではないように思われます。政策内容を比較して支持政党を選ぶ行為とその人々が右翼化するかどうかということを同一視することは私の中では違和感が残ることですし、治安強化が右か左かを判断する要素であり得るかどうかについてはすんなりと受け入れられそうにありません。
 右左という判断基準を嫌うのは、私のような年代に特有のことなのかも知れないと思っていたりするのですが、これは個人的感想であって、一般論として議論するつもりはありません。(一時流行ったポリティカル・コンパスには興味すら沸きませんでした。)

(2)fenestraeさんの「置き去りに去れた郊外・燃える郊外(中期的観察 2002年5月−2005年11月)」(http://d.hatena.ne.jp/fenestrae/20051114#p1)と「置き去りに去れた郊外・燃える郊外(中期的観察 その2)」(http://d.hatena.ne.jp/fenestrae/20051117#p1
 まずは、今回フランスで多発的に発生した車への放火等を行った者ですが、警察にパクられた若者らは約3000人弱そして未成年者(18歳以下)が多かったのですが、そのうち拘留されたのは600人強でそれ以外は身柄を拘束されていません。また、その600人強のうち100名強が未成年者ということらしいです。この数字について触れられているブログを私はあまり見かけていませんし、このfenestraeさんの二つのエントリーにもその旨の記載はありません。
(A)警察と若者の関係
 ところで、fenestraeさんは、「置き去りに去れた郊外・燃える郊外(中期的観察 2002年5月−2005年11月」において、「防止と抑圧−−ご近所警察と機動隊」及び「警察と若者たちの摩擦 (付−−フランス語俗語講座)」というサブタイトルで、若者と警察の関係について触れられていますが、実際にフランスで近年どのような犯罪があったかについては触れられていません。
 私が目の当たりにした犯罪だけでも、二人組のバイクの少年が歩道脇を歩く人のバックを強引に掴んで、その人間を引きづり倒す形で結果として怪我を負わせた上に強奪したケース、私服警官のふりをし身体検査のふりをして金品を奪ったケース、地下鉄の中でターゲットを取り囲み、脅し、時に暴力をふるってバッグや財布などを奪ったケース、一人が物を落としたのを拾ってあげようとした人間を突き倒し、鞄などを奪ったケースなど、年に数回はこういった犯罪に出くわしています。また、不幸にも被害にあった知人のケースや知人がその現場を見たケースなどはいくらでもあります。
 被害者は日本人とは限らないのですが、特に日本人の場合、年間の観光客数も多くまた、身なりなどで観光客や出張者であることがわかりやすいため、狙われやすい傾向にあるようです。
 私が遭遇したケースの犯人の共通する特徴は、スーツに身をつつんだ若いアラブ系の偽装私服警官を除き、ニュースにて映し出されたような服装の少年グループです。もちろんこの少年らがどこに住んでいるかはわかりません。
 多発したこういった犯罪とは別に、小学校や中学校での薬の蔓延も社会問題化しているようですし、知人(北アフリカ系移民)からこれで悩んでいるんだといった話も聞かされていたりします。
 こういった体験や知人からの話などがあると、警察の不審尋問の件について、少々見方が変わってきます。
 事件が発生すれば、警察は被害者の供述に基づき当然不審尋問をします。例えばパリ市内で事件が発生すれば、パリ市内のそういった風貌の少年、ましてやバイクに乗った少年は真っ先に不審尋問を受けるでしょう。事件が頻繁に発生すれば、不審尋問も頻繁に行われるでしょう。そして、犯人が見つからなければ近郊まで尋問する範囲は広がるでしょう。一つの事件に犯人は数人です。当然無実でありながら不審尋問を受ける少年は多数出ます。
 fenestraeさんが書かれていることはそれはそれで間違いはないと思います。ですが、不審尋問やしょっぴかれるのが特定の街に限ったことなのかについては疑問が残ります。やってないのにやっただろうと言われる少年にとっては迷惑極まりないことですが、写真等がなく、犯罪が発生して被害者がいる限り、警察も不審尋問などを行わなければならないだろうという理解もあります。逆に警察がまったく動かない状況は想像出来ません。
 ここで、警察は悪くないんだという論陣を張るつもりはありません。問題のある行為が発生したかも知れません。もし何らかの判断が必要とされるのであれば、先に掲げた話のような情報も必要なのではないかと思っているということです。補完情報としての位置づけだと理解していただきたいと思います。
 おそらく、警察と若者という言葉を聞いたときに私が最初に思い浮かべる事象とfenestraeさんが思い浮かべる事象に違いがあるからではないかと勝手に思っていたりします。
(B)アソシエーションという用語
 フランスにおけるアソシエーションの実態などについては、まったくそのとおりだと思いつつも、気になるところがあります。

郊外地域では、90年代から、ラップグループの活動なり、スケボーのクラブなり、コスプレのフェスティヴァルなり、かつては大人たちからあまりいい目で見られていなかったサブカルチャーの分野でも、積極的にサポートが与えられた。とにかくその辺りでたむろしているかドラッグでもやるよりはましだったら、大人たちが理解できるものでなくても、うるさいことをいわずに、なんでもとにかくやってもらおうという感じである。

小さな町では、それが露骨にでる。そして一般的な観察だが、問題地域の文化・社会活動にたずさわり、若者たちの文化に寛容な人々には、左派人脈につながる人や左派的感性をもった人が、少なくとも今のところは、多い。その二つの要素が及ぼす帰結は、戯画化していえば、町長が右派に代って、去年まであった公民館でのラップ少年たちのコンサートがなくなり、ペタンク大会の入賞景品が前の年より立派なものになるというようなことだ。

誰も知らないような小さな町でなく、フランス人なら誰もが名前を知っているような小都市でも、極右が政権につくと、そんなことが起きる。極右は定義上極端なことが好きだ。1995年の選挙で南仏の3つの小都市で国民戦線系の人物が市政をにぎった。すぐさま、有名な前衛的なダンスフェスティヴァルがなくなり、移民層の若者たちの集まるコミュニティセンタがつぶされ、人気ラップグループのNTMがフェスティヴァルのプログラムから外された。が、こうしたことは局地的エピソードに留まる。

数カ所にラップに言及しているところがあります。サブカルチャーとしてのラップについて左派は理解があり、右派は理解がないような印象を私は受けました。スヌープ・ドッグDr.Dre、50cent、EMINEMなどに代表される米国黒人発祥のラップ・ミュージックは、mother fxxkerなどのf-wordや暴力、カネ、女、退廃的な生活などを中心としたギャング・スタ系のものや反社会的、反体制的、もしくは社会風刺的なものが多く、実際にその周辺に暴力や殺人、ドラッグなどの事件も多発し、暴力を扇動するようなものもあります。抗争の末銃弾に倒れた2PACは今でも絶大な支持を集めていたりします。かといって私自身RAP音楽自体を毛嫌いしていることもなく、むしろ彼らのサウンドやその歌詞に非常に興味を持って聞いていたりします。かつてこのブログのmusical batonMusical Baton - antiECOがいるところ)で「213」を紹介したり、別の機会にはサウンドトラックの「above the rim」を取り上げていたりしています。
そんなラップ好きのantiECO個人的には、ラップを政府の公的援助が出る「アソシエーション」でやるのはちょっとしょっぱく思えてしまったりします。彼らがラップをやるのはまったくもって歓迎だし、どんどん思いを歌詞にぶちまけてくれとも思うくらいなのですが、政府や自治体主催のラップというのにはどうでしょうかという感覚です。世の中おかしいよとかぶっ壊せとか叫ばれてそれをじっと聞いている政府や自治体の人間の姿にそれを懐が深いとか形容できるかも知れませんが、こらお前ら調子に乗るなとやる方がその関係としてあるべき姿というか健全なようにも思えたりします。
そんな私の感想などどうでもいいのですが、ここで私がここに書かれていること以外に知りたいなと思う情報は、ラップ少年たちのコンサートがなくなったり、NTMがプログラムが外された理由です。ラップだけではなく、コミュニティセンターがつぶれた理由は何とされているのだろうかということがここにはありません。

ところで、このアソシエーションの全体的流れに関してですが、fenestraeさんのエントリーの冒頭で、ヴィルパン首相の措置が引いています。

われわれは過去数年間にアソシエーションへの財政支援を減らした。では、それを元に戻そうではないか。大きいところだろうと、小さいところだろうと、住居や教育など人々の日常生活を助けて活動しているアソシエーションに対し。

Nous avons baissé la contribution aux associations au cours des dernières années. Eh bien, nous allons restaurer cette contribution, qu'il s'agisse de grandes associations ou de plus petites qui sont au contact de la vie quotidienne pour l'aide au logement, pour l'aide scolaire"

首相は、住居支援や教育支援のために日常生活に関するアソシエーションを復活させると述べています。目的は「住居支援」であり、「教育支援」であるとしています。
この「住居&教育」と、「fenestraeさんのその後文末まで続くアソシエーションにまつわる一連の話」との関連が私個人の理解ではどうもぴったりはまっていなかったりします。
住居支援という話では、焼かれた郵便箱、故障したままのエレベーターやおしっこが混じる異臭、多数の落書きや割れた窓ガラスなど荒れた住宅の共有設備、ちらばるガラス瓶の破片、なぎ倒されたゴミ箱などの話もここでは必要だったりするのではないかと思っていたりします。
ヴィルパン首相が使ったアソシエーションという言葉、そこから連想されるfenestraeさんにとってのアソシエーション、そして、私にとってのアソシエーションに微妙に差があるように感じていたりします。ラップ音楽の捉え方もちょっと違うのかも知れません。

(その2に続きます。)