トルシエ・ジーコから思うこと

 
日本人が日本語でコミュニケーションを図るのも難しいというのに、言葉が違うとなると、さらにこれは難しくなる。
 
特に日本語は他の言語との共通点が少なく、理論的に読み解く時間が許される書かれた文章を読み解くことよりも、即時に理論的再構築が要求される話し言葉において、困難を極める。
 
これは個人的に感じていることであるが、文法的に複雑に日本語を使いこなすというか日常において日本語による細かな表現にこだわりを持っているもしくは表現しようという習性のある人ほど、他の言語を習得する上で大きな壁にぶち当たるように思う。ただ、そういう人が他の言語を習得した際には、そうでない人よりも高いレベルに到達できる可能性があるとも言えるではないだろうか。
つまり、日本語がシンプルな人ほど他の言語の習得は早いがそこそこのレベル止まりだと。(但し、発音やヒアリングの能力に関しては、また別物。リズム感が必要な言語とそうでない言語とがあるし、未知の母音や子音に対して理屈で対峙するか感覚で対峙するかによっても異なる。)
 
私個人の感覚では、英語よりはむしろフランス語の方が日本人にとって習得しやすい言語だと感じている、正確な発音を発するのは困難を極めるが。このあたりは、情感へのこだわりにヒントがあるように思う。どうも英語は、言葉そのもので情感を伝えるよりも、むしろ、一つ一つの単語はその情感を単に解説するためにあるような感覚があり、身振りや抑揚によってそれを補っていたり、スラングやフレーズ動詞でそのあたりをカバーしているように思う。その点、フランス語の方が言葉そのものに情感があるケースが多いように感じる。
 
 
ところで、トルシエジーコの違いである。
 
国際化の進む中、私が企業のダイレクタークラスで現地を統括する任に就いたとしよう。
そして、それが私がある程度操れる言語以外の国だったとする。
技術職ならばともかく統括職であれば、コミュニケーションは必須だ。であれば、自らその国の言語を習得するか、もしくは通訳が必要だ。
 
しかし、その国の言語を習得するにはかなりの時間がかかるし、その間仕事を滞らせるわけにもいかない。島耕作の中のとある方々のように悠長に時間をかける余裕などないはずだ。また、英語などでコミュニケーションを取るのも少々抵抗がある。肝心なところで手が届かないおそれがあるのと、現地人同士の会話のキャッチアップが出来ないからだ。
 
よって、自ずと通訳を雇うことになる。但し、その際、二つの選択がある。その国の日本語が話せる人間を雇うか、それとも、日本からその国の言語に堪能な人間を連れて行くかのどちらかだ。
 
私であれば、迷わず日本からその言語に堪能な人間を連れて行く。なぜなら、私の伝えたいニュアンスだけはすべてその通訳に把握して欲しいからだ。そして、その意図を最大限にくみ取って相手に伝えてもらいたい。統括するということはそういう事だと思っている。特に何か問題が起きたとき、または問題がある場合に、通訳に対する信頼度、安心度に差が出てしまうのは仕方がないことだろう。そこには歴然とした限界があるように思う。(但し、これは非営利な環境についてまで言及するものではない。)
  
では、トルシエジーコの場合はどうか。トルシエの場合は、同じフランス人のフローラン・ダバティ氏を起用した。一方、ジーコは日本人の鈴木さんという方だ。
 
私はこの選択の時点で、トルシエジーコに大きな差が生まれる素地があったのではないかと思っている。トルシエの方が管理者としての適性が高いのだろうと思う、指導者としての能力は別として。しかし、日本代表については育てる要素よりもむしろ管理面に重きが置かれるべきだろう。(但し、鈴木さんの能力が劣るということを意図した話ではまったくない、念のため。)
 
そして、監督と中田との会話。ジーコと中田は直接グラウンドで会話をするという話を聞いた。これは極力避けるべきではないかと思う。通訳を通じ、会話は他の選手にもその内容がわかるようにオープンでやった方がいい。中田に関して言えば、所属チーム内での会話、特に監督との会話についても日本人の通訳を挟んでやった方がいい。本人がその国の言語で直接やりとりできるようになるに超したことはないが、それでもやはりどうしても越えられない壁が会話に関してはあるし、その国に精通した優秀な通訳のプロを従えていた方が起用方法などの交渉事はまとまりやすいと思う。
 
話は変わるが、以前、少子化の話の際に、仕事の他国へのアウトソーシングや大量移民の受け入れの話があった。
今後、それを本気で拡大していく気があるのであれば、まずは自前の優秀な通訳のプロの整備が必須だと思っている。手っ取り早いところでいろいろな国との国際結婚が増え、バイリンガルな子女が増えることだが、日本ではそういったケースはこれまで他国に比してかなり少なく、今後爆発的に増える状況にもない。
であれば、そろそろそういったプロを本気で養成するプログラムを構築しなければ、アウトソーシングなどの話は絵に描いた餅だろう。
 
自ら一兵卒としてその国に乗り込んでいくのと、管理職として使用者の立場に立つのとでは基本的な条件が異なる。
 
そのあたり、特に新興企業はどのように考えているのだろうか。一朝一夕には解決できない問題だけに、そのあたりの人材難は今後の経済維持もしくは発展の致命傷にならなければよいがと思う。
 
このあたりについてはかなりの偏見かもしれないが、これまでの経験から団塊の世代団塊jrには淡い期待など抱かないようにしているというか、残念ながら抱くことができないでいる。また、彼らがそのことを無意識かどうかにかかわらずある程度認識しているとしたら...いやいや、それは考えないでおこう。

<追記>
今日(5月28日)、「ダバティ」さんで検索をかけたら、たまたま見つけたエントリー。
 
「映画の心理プロファイル」さん、GJ! です。
 
映画の心理プロファイルの、「同調行為(シンクロニー)」

論より証拠」だぁ!