切込隊長の「各論全員否定」の社会学ってよくわからん

別に、これが誰に向けて書かれたものかなどと考えても仕方のないことで、彼なりの考えをただ単にそのまま記しただけというならば、特にどうってことはない。
しかし、ふと、じゃあ、このエントリーを各論に属する者達が読んだ場合、共通の理解というか概念の共有がはかれるかといえば、そういうことでもない。そこんとこがどうもひっかかる。隊長の同世代もしくはそれ以下の世代に書かれたものであれば、こんなんでいいんじゃないか。
 
ここで、具体的に指摘をしておこう。
例えばこんな段落がある。

しかし、ある程度豊かになってくると、誰しもが自分の欲しい情報を集めることができるようになり、結果として父親には父親の、母親には母親の、倅には倅の情報が与えられるようになり、父親が将棋好きで母親が料理好き、倅がオタクという状態だと、一家の間で会話が成立する余地が小さくなってしまう。誰しもが違う価値観を持ち、それを認め合うのが社会の礼儀だとするなら、その礼儀を突き詰めると「なるだけ違う価値観の人たちとは付き合わない」という結論になる。中高年が「最近の若い社員が飲みニューケーションに付き合わなくなった」と嘆く有様は、つまりは同僚といえど人の価値観に踏み込めないジレンマそのものなのではないかと思う。

これは戦前、戦中に幼少期を過ごした世代やその世代の子供、つまり新人類と世間から宇宙人扱いされた世代から見れば、それは、(極端に言えば)今の50代とその子供達の世代だけの話なんじゃないのと思う。
そもそも、今の六〇代や七〇代の世代は、彼ら自身が親と話す機会なんてほとんどなかっただろう、戦争行って親なんかいなかったんだから。それに兄弟が多くて、例え家に居たとしてもいちいち一人一人の子供と悠長に話しなんかしてる暇なんかない。母親だって家業の手伝いや家事で手一杯の状態だ。お茶の間の一家団らんなんてどこのどいつの話だなんてことになる。
そして、そんな世代の人間は、ちょうど働き始めたときが、高度成長期、エコノミックアニマルとか企業戦士とか言われて、家庭を顧みずというか、子供の起きている時間に家なんかに帰ってこなかった世代だ。家にいたって、テレビでニュース、野球、ゴルフを酒かっくらいながら見てるだけなんてのが、スタンダードに近いだろう。チャンネル争いで親子の関係最悪、会話なし(特に父と娘)なんてのはどこの家庭でも普通にあった話だ。
そもそも、そんな「一家の間で会話が成立する余地が小さくなってしまう。」なんてのは、もともと余地ある家庭の話で、サザエさんみたいな家庭が成立するのは、カツオやワカメが歳をとらないように、子供がせいぜい小学校卒業するまでの話だ。

つまり、何がいいたいかというと、そんな夢みたいないくつになっても家族円満なんて家庭は団塊の世代が勝手に描いた幻想でしょ、ってな感覚がそれ以外の世代にはあるってこと。

じゃあ、今社会が転換期にあるかといえば、少なくとも10年くらい前までは、今の六〇代&七〇代と新人類世代が団塊の世代をサンドウィッチにする構造で主導権を握っていたものが、団塊の世代団塊jrの世代が新人類世代をサンドウィッチする構造に変わったってことなんじゃないの、おおざっぱに見れば。それがうざくけりゃ起業ってか。
かといって、家庭を大事にしていたはずの団塊の世代と大事にされた子供の団塊jrが、俺ら会話する余地すらありませんなんてのを聞かされても、ああ、そうですか、いい加減にせいよとうざくなるだけのこと。かといって、黙ってほっといて、そのうち焼け野原になるのだけは勘弁してくれと。

物が溢れかえる現代において、似たような考えや境遇、環境にいる人間相手にサービス業やってくのもいいけど、みんながみんなサービス業(ここでは狭義のサービス業)で生活が成り立つかなんてこと考えれば、金払う側がいなければ成り立たないし、衣食住に直接関わる産業がなくなって、果たして生きていけるのかね、我々は。

そしてこの段落。

いま、この社会はかつてないほど多様な価値観とそれを互いに認めることで距離を開くという未曾有なバラバラ感に満ちている。下手をすると向かいのマンションに住んでいる人の顔さえ分からない。希望格差社会といわれて、その希望をもてない下のほうにいる若い人を、年寄りたちが理解できないのは、情報が切り離されているからだ。しかも、若い人が何を考え、どうしようとしているのかを年寄りたちは興味がないし、若い人同士もほかの価値観を持つ人間がいま何を考えているのか理解しようとしない。クラブに通ってる奴とオタクと海釣り好きの間に会話が成立しない。その方面の、知る人ぞ知るが細分化された市場ごとに山ほどできて、市場が小さいのだからトップに辿り着いても儲けが少なく、流行廃りが早くてトップであり続けることができない。

そりゃ小難しく物事考える人間からすれば、そのまわりを見渡せば多様な価値観があるのかも知れんが、今の社会のマジョリティはそんないろんなこと考えてるのかね。日本のワイドショーのラインアップとか見てると、とてもじゃないけどそんな国には思えないけどね。ブログ見渡したって、いろいろあるとは言ったって、価値観の違いというよりも、単に趣味の違いだったり、今何歳か、どんな環境にいるかの違いだったりするんじゃないのかね。そりゃ、こういう奴もいるのかなんて驚くこともあるけど、それだけのことでしょ。
むしろ、向かいのマンションに住んでる人の顔を知ってたら、そっちの方が気持ち悪いでしょう。居職が一緒の人間なんて少ないんだからさ。
それからさ、いつから年寄りが若い人を理解しなければならない国になったんだ日本は。ついちょっと前までは、若者にとって年寄りなんてのは、偏屈で意固地でうるさいだけのうっとうしい存在だったんじゃないのかね。団塊jrってのはそんなに親にちやほやされて育ったのか?
細分化された市場が流行り廃りが早いなんていうけど、所詮、人間、起きて、着替えて、食って、出かけて、働いて(or 学んで or 遊んで)、食って、帰って、食って、寝るの繰り返しなんだから、それに密接した産業はいつまでもいつまでも続くし、細分化する必要もないんじゃないの、だって、昼飯食うのにわざわざ電車乗って遠くまで行くなんて事、しょっちゅうしないでしょ。
そんな基本的生活以外の部分の市場は、その時の情勢で不安定なのは情報があろうがなかろうが、会話が成立しようがしまいがあまり関係ないんじゃないの。昔だって、将棋好きと囲碁好きが仲良く会話してるなんての見たことないしさ、それこそインターネットなんてなかったから、そもそも接点すらなかったし。
昼休みや仕事のあと、趣味を同じくする連中が集うなんてのは当たり前のことだったしね。

2005-04-10finalventさんと隊長の間になんかあったみたいだけど、よくわからんという漠然とした気持ちを抱いたことはよくわかる、おそらくこれは、年代の差だろうけどさ。でも、まぁ、概ねこんな感じでしょ。

まぁ、万民共通の会話のチャンスって、恋愛だったり、結婚だったり、子供の誕生や子育てだったり、大切な人との別れだったりするんじゃないの。やれセクハラだ、少子化だ、子育ては地獄だなんてのが真っ先に語られるようじゃ、頼みの綱も失っちゃうけどね。

それとさ、おっさんの職探しはさすがにしんどいでしょ、体力落ちるは、目は遠くなるは、なんかしらの病気は抱えるは、親はやばいはでさ。だから、若いうちくらい、何でもいいからがむしゃらに働いて金貯めとけ、もしくは手に職をを持っとけっていうのは、この歳になって、なんかわかるようになるんだよね。そうじゃないと、救いはないぞってことでさ。

なんで今さら希望格差社会なのかね。昔に比べりゃ、ずいぶんと開かれた社会になったんじゃないのかね。昔はどこにどんな企業があるのかすら、どこの大学のどの研究室にどんな教授がいて、そこに入るとどんないいことが待ってるなんてこと、高校自分に知ることが出来るなんて環境になかったんだけどね、一部のエリートの親を持たない限り。

そんな意味では、最後の段落だけは、fully agreeだけどね。

それとも、これは思いっきり釣りか、我々の世代を狙った。まぁ、たまには釣られとくか。

http://column.chbox.jp/home/kiri/archives/blog/main/2005/04/10_053833.html