そうか、そうだったんだ!

泥仕合という言葉がある。私はこの歳まで、泥試合と書くと思っていて、夏になると思い出すビヤホールでのあの熱い戦いのことかと思っていた。
が、しかし、
なるほど、こういうのを泥仕合というのだと妙に納得した出来事があった。いくつになっても一つ賢くなれるということは嬉しいことだ。

そんな話はさておき、
ネットは新聞を殺すのかblogさんで気になるエントリーが二つ続いた。

「参加型Jの実験:記者OBと海外在住日本人」
というエントリーとその前の、
ライブドアPJニュースについて」というエントリー。
最初の方はそのタイトルに正直どきっとさせられた。
記者OBってあの人にあの人にあの人でしょ、そして、海外在住日本人って、あの人に、そしてあれ?
後ろめたい気持ちなんてまったくないものの、なぜか冷や汗、脂汗たらたら流しながら記事を読み始めたら、ほっとした。アジア中心、いいじゃないっすか。
余裕でお茶でもすする気になれた。
ちょうど玄米茶を仕入れたとことだったのでお茶碗を左手に、マウスは右手、そして膝の上にはうちの子がという状態で、それじゃあ、次のエントリーと、クリクリッとホイールを回したその時、
思わず茶碗の中のあっちっちの濃ーい緑色の液体(調達したての玄米茶)の中身をうちの子に思いっきりぶちまけてしまいそうになった。
マジで茶碗が左手の中で踊っていて、あせった、あせった。またも冷や汗、脂汗。

ライブドアPJに有力ブロガー投入っすか。有名ブロガーって誰?(下酢の勘ぐり)

発展途上ならOK???

もちろん、有料のサービスとはちょっと性質が違うとは思う。ふところは直接痛むわけではない。
それと、私自身、ライブドアPJの記事にくまなく目を通しているわけではないので、特にライブドアPJを批判する気はないし、出来もしないし、これからもないだろうし、読むこともないかも知れない。ただ、なにやら問題があったことは他のブログなどで目にしている。そんなことはどうでもよかった。
ここで気になったのは、このエントリーでも今のライブドアPJの記事が今後の発展を必要としているものだとは認めているということだ。つまり改良の余地があるということだろう。質が悪いと批判している人もいるようだ。「質や主張に問題があるのは当然だと思う。」ともおっしゃってますしね。
そこで、なにに驚いて茶がころげそうになったかというと、
報道とか、記者さんとかのつまり生業(なりわい)としてのジャーナリストの世界では、
発展途上であれば、質や主張に問題のある記事を看板背負わせて外に出すことはOKという解釈がある得るということにだ。
もし私が自分の関係の仕事で若い新人を部下に持ち、そいつにやらした仕事の質が満足いかないものだったら、決してそれを外部にそのまま納めるなんてことしませんけど。
だって、相手は個人に発注するのではなく、その会社の看板に発注するものでしょう。いくら担当××です、まだ新人なんで長い目で見てやってくださいなんて説明したって、次の仕事貰える保証はないですからね。そんな博打なかなか打てません。だからといって新人に仕事を回さないわけではないですよ、中でビシビシ精査するだけですから。外に出るときには元の形は残ってないかも知れませんけどね。(笑)
でも、あれか、ライブドアPJっていうのはプロの世界ともいいきれないんでしたっけ。いまいち、その立ち位置というか責任の所在がよくわかんないんですよね。個人の趣味の延長みたいにも見えるし、プレスの位置づけにも見えるし。
ま、なんだかわからないけど、そういうことですわ。