記者さんはやはり...記者さんだった。

というのは、http://spaces.msn.com/members/rikei/Blog/の1月17日のエントリーを読んで個人的感想。
2005-01-15のkanryoさんが記者ブログを始める人、やめる人 : ネットは新聞を殺すのかblogさんに抱いている違和感ほどじゃないけど、すごい違和感です、正直なところ。

これは、このブログを書かれている記者さんのところに届いた2種類の匿名の投書について、ご本人曰く、「やけくそ気味のグチ」を書かれたものだが、後半で以下のように話が展開するのだ。

匿名は安全なぶん、時々、無責任になる。

新聞記事は、これまで多くが匿名だったけれど、毎日新聞に続いて朝日新聞も署名記事が増えている。署名記事は、記者としての一つの責任の持ち方だと思う。
リスクはあるけれど、私は実名で活動している。リスクを負わないこうした人たちの言葉に、ときどき傷つく。

タイトルに「匿名と暴力」などという物騒なものがついていなければ、あるいは印象は違うものになっていたかもしれない。
社会人として働いていれば、その職務を遂行する上で、誰にでもリスクはつきものだ。
例えば、マスメディア、特にテレビ局やラジオ局であれば、その放映内容によっては、抗議の電話が殺到することもあるだろう。そして、それらの抗議がすべて実名ではあるまい。まさか、発信者番号が特定できるもののみ受け付けている訳ではなかろう。そして、番組に寄せられる反響について、好意的なもののみを良しとしている訳ではないだろう。
また、マスメディア以外の一般企業だって、官公庁だって、お客様窓口の類を設けたり、また、直接代表電話なり、郵送なりで実名ではない方々のいろいろな意見を受け取っているはずだ。受付の担当は名前を公にさらしているし、受付者の氏名を確認する人だっているだろう。
さらには、匿名で働く社会人はサラリーマンであればまずいないだろう。
つまり、「リスクはあるけれど、私は実名で活動している」と書いている時点で、「実名で活動することが世間一般では普通のことなのだ。」という感覚をもしかすると記者の方々は持ち得ていないのではと感じるのだ。
「匿名は安全なぶん、時々、無責任になる。」という部分も、前半の部分でのこの記者さんのエピソードとの関係性が個人的感想であるが、あまりはっきりしない。
ラジオ番組でのこの記者さんのコメントに対し、「『中村さん側に偏って』おり、日亜化学側が情報を出さないことを責めるなら、知っている情報を意図的に隠すあなたも一緒だ。」という匿名のコメントを、「匿名だから安全なぶん、(この投書の主は)無責任になった」と結論づけられるのだろうか。さらに言えば、投書の主はそのコメントを公にしたのでもなく、直接新聞社なり、この記者さんに送付しているのであり、単なる意見、感想もしくは主張を伝えたかっただけかもしれない。

実名で行うコメントに比べ、匿名の方が、非建設的あるいは(乱暴な言い方をすれば)破壊的な意見となるケースが多いという傾向にあることは否定しないし、匿名性を悪用するケースもあるだろうことは否めない。

しかし、問題にすべきは、

匿名が悪いか実名が良いかなのではなく、どちらにせよ、その内容が批判にせよ、賛同にせよ、建設的か非建設的か、もしくは論理的か非論理的あるいは感情的かを問うべきだ

と強く思う。

なので、この違和感はどうしても拭い去ることができない。

念のため繰り返すが、

「匿名という暴力」ではなく、「匿名を利用した暴力」に断固反対する

ということであれば、まったく異論はない。