「自己満足」という言葉

中学生のとき、コンサートで演奏をした。ある人から、「自己満足でしたね。」と言われた。とても重い言葉だったが、その後、何かをする際に、常にそれは「自己満足」だけではないのかどうかを自分に問いかけるようになった。
個人的なブログはもちろん「自己満足」の世界であっていいと思うし、また、書くことによって、それが「自己満足」だけなのかどうかじっくりと確認できるいい機会でもある。
かくいうこのおっさんも書いたあと、読み直してみて、「ありゃ?」と思うことも多々ある。
そして、ご指摘がなければちょっとだけそっと修正などとズルをすることもある。
だけど、商用に近いもしくは商用に限りなく近いブログもあるように思う。
また、それが企業体であればもちろん商用なのだろう。
特にマスコミの場合、それが伝えることの「自己満足」で終わっていないかどうかをプロとしてきっちりと精査して欲しいと願っている。
イラク戦争特に香田さんの事件もそう、米大統領選もそうだ。
そして、最近では、誘拐事件。
特に、今回の新潟中越地震での報道では、誰に、何のために、何を伝えるべきだったかについて、やはり総括が必要なのではないだろうか。
とにかくありのまま伝えるということだけでは、「自己満足」という言葉が常につきまとうように思う。
ということで、お体ご自愛ください。理系白書ブログ様。
追伸:住民に最新情報を伝えるのは主として警察、消防、役所の仕事だと思いますし、マスコミも災害時には彼らには積極的に情報を提供する体制となっていると思うのですが。