荒川さんと村主さん

 こちらの午後10時から始まったフィギュア女子の決勝だけはなんとか見ることができ、無事金メダルの瞬間を見逃さずに見ることができた。これで4大会ほど、メダルの瞬間だけはなぜかライブで見ることに成功している。こういったところで運を少しずつ使っているので、大きな運はやってこない。ま、いいか。

 ところで、ちょっとだけ感想を。荒川さんが他の選手に比べ群を抜いていたのは、手の使い方、そして、演技時間中、わずかな時間でも無駄にしていなかったこと。 とにかく、最初から最後まで、他の選手がおろそかになりがちな顔の表情、手の表現に隙がなく、美しかった。そして、観客もそれに気づいたようで、どんどん、その世界に引き込まれていったように思う。 美しい、と思う気持ちが継続し続け、それが見るものの中で濃縮されることにより、さらに引き込まれ、図らずも感動してしまう、そんな感じだった。 彼女はバレリーナになっても大成したのではないか、と、ふと思った。 演技途中からのあの拍手は彼女の気持ちを高揚させ、それによりさらに美しさ、妖しさを醸し出させたかのようだった。 あのブルーの衣装をしばらく忘れることは出来ないだろう。 さらに表彰式。彼女の立ち姿、そして、顔の表情は最後まで完璧だった。スルツカヤが股を開いて棒立ちしている隣で、そしてコーエンが表彰台の前から台に上るのに比べ、彼女の作法、そして立ち振る舞い、上品さは完璧だった。もちろん、欧州の各メディアはベタ褒めだった。冬の優雅なオリンピックが彼女の中だけにあったことを、フランスの解説陣もそしてイタリアの解説陣も十分過ぎるほどに褒め称え、彼女こそが銀盤の女王にふさわしいことを声高に叫んでいた。反対にスルツカヤに対しては、演技の冒頭から厳しかった。おそらく荒川の名前は、単にこの大会の金メダリストというよりも遙かに高いステータスを築いたに違いない。彼女なら、欧州のどこに行っても終生VIP待遇されることだろう。 かつてアジアの黄色い猿と言われた日本人のイメージをしっかりと書き換えてくれた彼女の功績は、今後評価されていくことだろう。

 そして、村主さん。彼女はやはり、持ち時間の中で、無駄な部分がちょっと多かった。ジャンプの前、そしてジャンプやスピンを終えたあと、どうしても準備の時間が出来てしまう。そして、そのとき、間違いなく手が下がる、次の山場への準備ですよと伝えるように。なので、次は何かなという楽しみはあるものの、一つ一つの感動がそこで途切れ、どうしても気持ちが高まっていかない、そんな風に感じた。 そんな選手は何人かいた。もったいないなと思いながらも、実際は大変だよなとか考える余裕が少なくとも見る側の私にはあった。だから、もっと、もっと、極めるべき点はあるし、もっと、もっと、よくなる可能性、余地はまだまだたくさんあると思う。少なくとも手の使い方、特に下にだらんと下ろしてしまう点はなんとかならないものかと思う。 フィギュアスケートには、ジャンプ同等、いうや、それよりも大事な要素はたくさんあるんじゃないだろうか。ジャンプはそろそろ限界に近い感じがするし、そして、全体の持ち時間の中で、実はジャンプの占める時間はそう長くはない。

 最後に、安藤さんについてちょっとだけ。常にカメラにその小さくはないお尻が向いてしまうのはどうしてだろう。見終えてお尻しか記憶に残っていないのは私だけだろうか?おそらく、体が前屈みになっている時間が多かったのだろう、つまり、それだけ調子がよくなかったということかな。