色事(エロ話)と経済(カネの話)

 リアルな世界の話として、カネの話をする方がエロ話をするよりも卑しいという暗黙の了解があった、今は違うみたいだけど。
 その「自分たちの」暗黙の了解、流儀みたいなものを、違う世界に持ち込むことを、リアルな世界では「無粋」な行為として嫌う。
 インターネットでは、「自分たちの世界」とかシマ内というか、範囲をなんとなく感じることが難しかったりする。というよりも、リアルみたいなそういう境界みたいなものはない方がいいと意識的にかどうかは別にして、そういう思いを持つ人がいる。
 そのあたりが、「空気嫁」論争につながっているのかも知れない。
 そして、匿名でなくてもある程度の本人情報(本人特定情報の類を指していない)を知ろうとすることについても、
 「この人はリアルな世界ではどういった常識の社会に属していて、どういった流儀、習慣等を良しとするのだろうか」というのを、これも意識・無意識の別なく知りたいと思うのが、少なくとも、私の属するリアルの世界の流儀だったりする。
 この点については、非常に誤解を生じやすいのだが、それは、相手の品定めをしているのではなく、というよりも品定めを実際はすることになるのだが、これは、おもてなしをするためにはどうしても必要な行為であって、相手が何を快適と感ずるかを知る行為であったりする。
 話し方、身なり(特に靴とその手入れのされ方)、所作振る舞い、ちょっとした会話に現れる性格等々、実は言葉にならない要素が多かったりするのだが、それでも、比較的たくさんの私にかかわる文章があれば、いやな言葉で表すとすれば、「お育ち」というものがかいま見えたりするものだったりする。このあたりは、男性よりも女性の方が自分のバックグラウンドの関係を大事にする傾向があるように、少なくとも私は感じているので、より厳しいかも知れない。
 なのに、それを出自の話にしたりするから、話がおかしくなったりする。
 日本は、米国社交界とは異なり、出自よりも「お育ち」をより重んじていたと感じていたのだが。「東大ブランド」もお育ちの一部ではあっても、出自ではない。
 で、話は戻って、「カネの話」、いわゆる金儲けの話だったり、はたまた、誰がいくら持っているかとか、いくら儲かったかとか、うらやましいとかそういった話を公然とするのはとても卑しい行為で、だからこそ、こそこそとやるという雰囲気があったりした。
 欧州に暮らしていいところは、そのあたりの価値観が未だしっかりしているというところだろう。アメリカンドリームは、やはりアメリカンドリームなのだ。
 このあたりも、再び大いに誤解を招きやすい話となるのだが、ステータスと資産は相関関係を持つ必要がないし、結果として、相関関係とならなくてもいいという考えが根底としてあり、そして、どちらを目指すかといえば、ステータスを大事にすべきという傾向の方が強いのが欧州なのだったりする。だから、そもそも、カネで地位や名誉、学歴を買うという発想や商売が成り立ちづらい環境となる。カネはカネ、ステータスはステータスなのだ。そして、ステータスを得るためには、経験年数&経験内容、そして推薦人という、カネでは買うことが出来ない要素でガチガチに固められており、だからこそ、なかなか手に入らない、そして、尊敬に値する地位や名誉だったりする。
 ただ、日本でことをややこしくしてしまったのが、この推薦人という点で、ここあたりをどうも人事権という制度にうまくすり替えてしまった「推薦人としてふさわしくない人々」が一部にいたせいなのかも知れない。悪貨は良貨を駆逐するということわざがあるが、こういうことが起こりやすい世界ほど、この推薦人に求められる人格的要件は厳しいものでなければならず、そして、責任の明確化のため、○○会による推薦という組織推薦という形は極力避け、個人推薦により、「誰だあんな奴選んだのは(怒)!」というのを避けるべく推薦人が努力をする環境、土壌が必要だったりするのだろう。最近の日本は、どうも逆方向に進んでしまっている感があるが、気のせいだろうか。
 最近は、先進国の中でも、日米もしくは、日本だけにしか起こりえないような事が、カネや地位にまつわる話に多く起きている感があるのは気のせいだろうか?

追記:句読点の位置が不適切な箇所がちょっと多いかも知れません。ごめんなさい。