これでおそらく最後のフランス暴動関連

昨日のエントリーで今回のフランスで起きた暴動関連のエントリーは最後の予定だったのですが、mojimojiさんという方が名指しでエントリーを立てていらっしゃるので、あと1回だけ、この関係について、エントリーを起こしますが、これ以上の議論をする予定はありませんというかこれ以上このことについて書くことがありません、正直なところ。
今回は、このmojimoji氏の「[news] antiECO氏のコメントへのレス(http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20051114/p1)」を引きながらこれに対応する形で進めます。
始めに、最初に話のきっかけとなった、私のエントリー「貧困層と聞いてあなたの抱くイメージは?」ってはてなで聞いてみる? - antiECOがいるところの最後の余談2を引きます。

(10)余談2
 最低生活レベルって知らぬ間に随分と上がったんですね。私の子供の頃は、田舎でトイレ行くのも命懸けだった記憶があるのですが(笑)なにせ足を踏み外したら助からんくらいの大変な状況でしたから、あれはタダの穴です、今振り返ると。それと、足下の蓋をあけるだけの恐怖の井戸もありましたし。そんな昔話はさておき、どうも、今の先進国での貧困の共通的イメージって沸かないんですよね。特に今お暴れになられている彼らを貧困層と呼ぶのには違和感がある。差があることは認めますよ、彼らにとってアディダスやナイキ、iPodPSPにはそう簡単に手が届かないのはわかる。ラッパーやDJにあこがれ、パリのクラブに出入りしたい気持ちもわかる。そのあたりは日本の平均レベルよりも遙かに低い。だからといって、彼ら以外の少年少女に自由になるカネが回っているかと言えば、必ずしもそういうことでもない。フランス人の親というのは、ある意味ケチというか、子供にそうそう自由になるカネを渡さない。普段小綺麗な格好をしている中高生なんてあんまりみかけない。男女問わずジーンズにごく普通のシャツを羽織るだけだったりする。そういう意味でガキレベルの普通の生活レベルではあんまり差はないんじゃないかな。(幼稚園レベルだとかなり差があったりするけど(笑)。でも、はるかにうちよりもご立派な乳母車+お召し物の北アフリカ系母子軍団に遭遇したこともあったな。)
 昔と違うのは、NYで、LAで、ロンドンで、そして東京で何が起こっているか知りうる環境にいるということ。なんか俺たち損してねぇか同じタメなのにっていう気持ちが沸いてきても不思議はないわな。
 でも、大体話がおかしいのは、ブログで煽っていた奴が捕まったり、携帯で連絡とっていたとかニュースになっているけど、パソコンとか携帯持っている連中を貧困層と呼んでいいのか、このフランスでっていう気持ちも一方ではある。それに奴ら平気でタバコ恵んでくれって近づいてくるしな。割とそういうところがこっちに住んでいると同情する気になれないってのもある。なんでもいいから働くかスポーツやるか勉強するかしろよってね。うろついてたりたむろってたりしても何も変わらんだろうにってね。イスラム教って、酒、タバコ、ドラッグOKだったっけか?かっぱらいは?木を見て森を見るじゃないけど、イスラム教とか貧困層ってイメージではないな、私から見たやつらは。それでも「クズ」とののしるサルコジさんはけしからんですかね。

それでは始めます。

(1)最初の携帯電話関係の話
mojimojiさんは以下のように書かれています。

フランスの若者が、一般的に言ってどの程度のお金を動かせるのか知りません。しかし、antiECOさんは「ブログで煽っていた奴が捕まったり、携帯で連絡とっていたとかニュースになっているけど、パソコンとか携帯持っている連中を貧困層と呼んでいいのか、このフランスでっていう気持ちも一方ではある。」とおっしゃってる。だから、少なくとも以下の疑問に答えるべきだとは思います。

暴動に参加した若者たちにおいて、携帯やパソコンの所有がどれだけ一般的だったのか。ほんの一部の子たちが所有していただけならば、antiECOさんの発言は成り立たない。
ブログを使うのにパソコンを「所有」している必要はないが、どのような利用の仕方であったのか。いかにフランスの若者が動かせる小遣いが少ないのだといっても、コミュニティ内に安価な方法でインターネットにアクセスする手段は皆無、ということなんでしょうか?ネカフェでもコミュニティセンターのようなところの端末でも何でもいいですが。フランスの若者は、一般的にインターネットをほとんど利用していない、ということでしょうか?そういう状況はさすがに想像できませんが、もし実際そうなのでしたら、申し訳ありません。こちらの認識不足です。
あるいは、そもそも、暴動の拡がりに際して、携帯やブログでの連絡・伝達のケースがあったとして、それがどれほど一般的だったのか?ほんの一部がそういう連絡手段や扇動手段をもちいただけで、実際の暴動そのものは口コミのネットワークと報道による他地域情報の入手によって広がった、ということはありえないのでしょうか?
少し考えただけでも疑問点がこれくらいは出てきますが、antiECOさんのエントリを見る限り、これらの疑問に答えるものではないと思います。ゆえに、「パソコンとか携帯持っている連中を貧困層と呼んでいいのか、このフランスでっていう気持ちも一方ではある」という発言は、少なくとも現時点では、日本のテレビの「迂闊な」報道と同程度には根拠が見当たりませんし、印象操作的です。

 mojimoji氏は、私のしかも敢えて余談として示した以下の、

ブログで煽っていた奴が捕まったり、携帯で連絡とっていたとかニュースになっているけど、パソコンとか携帯持っている連中貧困層と呼んでいいのか、このフランスで」

という文章をどのように理解されたのでしょうか。
 これは、
「暴徒の中で、ブログをやったり、携帯で連絡を取っている連中がいて、そういう連中を貧困層と呼んでいいのか」
という意味でしかないですが。
 まず前提として彼らは暴徒であり犯罪を犯してしまったということです。問題地区(ZUS)に住む若者全体を指していないことは明示しています。あくまで一部の連中です。しかもこの問題地区に暮らしているのは移民だけではないし、またこれらの若者はれっきとしたフランス国民が多い。なので、問題は移民とイコールではないのです。そして生活困難者には生活援助費が支給されています。
 私は該当エントリーで「貧困」や「貧困層」をどのように捉えていますか(エントリーのタイトルでもあります)という問いかけをしています。さらに、mojimoji氏には氏のコメント欄で、「貧困層とは何か」を再度尋ねていますがこれには見事にスルーですね。
 ここでの私の主題を遭えて単純化するならば、「彼らは貧困層なのか?」です。そして、生活困難者に対し、その扶養家族である未成年者に(警察の目を掻い潜るべく連絡を取り合う手段として使用された)携帯電話を持たせることまで生活援助の範疇としてみるべきなのか?という問題提起です。
 ところで、これには当然裏があります。ドビルパン首相ですら、8日に下院において示した一連の措置の中で、「子供が器物損壊などを行なった場合、その家庭は生活手当を打ち切られる。」ことを表明しており、これを受けた流れとして今日は以下のニュースが日本にも配信されています。

 パリ南郊のドラベイユ市長で国民運動連合(UMP)所属のトロン下院議員は14日、暴動に参加して有罪判決を受けた同市に住む若者の家庭に対し、市が行っているさまざまな援助を中止する方針を表明した。(時事通信) - 11月15日

なので、mojimojiさんが「答えるべき疑問」は私にとっては筋違いの質問でしかありません。
 一連の報道をご覧になられていればお分かりだと思いますが、警察による警戒が強まる中、警備が手薄な場所を携帯電話などで連絡を取り合ってその裏をかいて車に火を放とうとしたり、インターネットのブログなどで煽ったりしていている事実があるのです。それとこれは私が聞きたいのですが、日本では1時間数百円かかるインターネットカフェを普通に利用できるくらいのおこづかいを日本の中高生(無職の同年代を含む。)はもらっているものなのですか? 携帯代と合わせて平均月何万円のおこづかいを渡しているのでしょう? また、今まさに暴動が起きている地区にコミュニティセンターがあり、かつそこにフリーに使えるネット接続パソコンがあったとしても、そこから煽りの書き込みOKなほどそのパソコンが野放しにされているということは私の常識では想像できないのですが。

 ところで、私がどういう「印象操作」をしなければならないのでしょう。私が書いたのは「パソコンや携帯を持つ若者は貧困層なのか?」ではなく、「(携帯などで連絡を取りながら暴動を起こしている)彼らを貧困層と呼べるのか?」です。 百歩も千歩も譲って、「パソコンや携帯を持つ未成年者を(私は)貧困層とは呼びたくない。」としたところで何の印象操作になるのか想像がつきません。

(2)人に歴史あり

なお、人に歴史ありの「人」は「移民」とイコールではありません。この文脈で「人」と出てくれば、まずは、「雇用者側」、「非雇用者側」双方を指すと考えませんか?私は「移民」という単語をまったく使ってないのですよコメント内で。(antiECOのコメント)

僕の方は、被用者側あるいは移民における「歴史」だけを取り上げてコメントしましたが、別に使用者側や非移民における「歴史」を含めたとしても、何の矛盾も生じません。

「歴史」が被用者にあるものだろうと使用者にあるものだろうと、どちらでも構いません。もし、移民系労働者の就労機会が有意に少なくなるような構造があるなら、それは個々の「歴史」に還元できませんよ、という話をしています。

 これについては、私のコメントのきっかけになったコメント欄のmojimoji氏のコメントを引いてくる必要があります。

mojimojiさんはこのように書いてます。

「人に歴史アリ」についても、実際に歴史があるからかどうかなんて、それこそ外部から観察してもわからないわけです。さらに、移民にばかり歴史があるような状況なら、普通はそこに構造問題があることを疑います。

 mojimoji氏が意識されているのは民族的な過去の歴史のようです。一方で、私の「人に歴史あり」は、その人の人生そのものを指しています。差別というものは移民かどうかという物差しだけでは計れないセンシティブな問題であるということを理解していただけないのでしょうか。
 「移民は差別されている」いや「移民は差別されていない」という単純なロジックだけではこの「問題地区」の就労問題は語れないでしょうという話す私に「移民系労働者の就労機会が有意に」云々の話をされても、議論にならないことは明らかでしょう。統計的に移民系労働者の就業率もしくは就業機会が少ないことあったとしてもすなわち「あなたのおっしゃるところの移民系労働者」に対する差別によるものかどうかに結びつけるのは短絡的過ぎるのではないかどうなんでしょうかねという話を書いているだけです。

(3)差別がない

あと、私の周りに「差別がない」と言っている方は誰かを教えてもらえませんか?「移民に対する差別」と言い切る報道に違和感を抱いていたり、階層社会が硬直しているという決めつけに待ったをかけていたりはしていると思うのですが。(antiECOのコメント)

antiECOさんの紹介されたま・ここっとさんのブログにはこうかかれていますね。
http://malicieuse.exblog.jp/3189935/
これを読む限りでは、「(名前による)差別はあるが、現実なんてそんなものであり文句を言う方がおかしい、名前を変えればよい」と述べていますね。別のエントリでは、<自分の選択の結果なんだから、文句言うのはおかしい>という意味のことまでおっしゃってますしね。

 私の質問が見えていますか?「差別がない」と言っている人は誰かを聞いているのですよ?

(4)移民に差別

あなたも、差別の有無は別として、今回の一連のエントリは、「移民に差別あり」vs「移民に差別なし」の構図で書いたものではないですし、そのことはさんざん文中に示しています。(antiECOのコメント)

「差別などない、問題じゃない、と、これまた十分な根拠があるとは思えない方向に「鵜呑みに」されかねない状況」と僕は述べました。「差別などない、問題じゃない」の部分を分かりやすく明示的に書き直せば「差別などない or 問題じゃない」という意味です。antiECOさんのエントリは、差別の有無の構図で書かれたものではありませんが、問題にすべきことの有無の構図かかれたものではあり、「問題はない」という立場だと読んでいるのですが、違いますか?そのように考える根拠としては、2つあります。(1)ま・ここっとさんの言説については留保抜きに紹介されているので、賛成しているものと理解しています。(2)「大臣にもなっている」という事例を出して論じているわけですから、(大臣になれるくらいだから)差別はないか、あるとしても問題ない程度に小さい、という立場だと理解しています。・・・という理解ですが、これは間違っていますか?「大臣にはなれるが差別はあるんだ」とか、「ま・ここっとさんのエントリを紹介はしたが、それには同意しないんだ」など、なんでもいいですが、違うなら違うとおっしゃっていただければ早合点については謝りますよ。

そう理解してよいのだと仮にするなら、それに対して僕は「問題はあるんじゃないの?」「少なくとも、問題はない、といえる根拠は弱い」という立場でエントリを書いています。だから、別にantiECOさんの書かれていることを「差別の有無」の文脈で読んでいるわけではないです。

 どうもお伝えしたかったことがmojimojiさんには伝わっていないようですが、暴動を起こしている連中は一部フランス国籍を有しないものがいますが、その多くが「フランス国籍を有するフランス国民」です。mojimojiさんはなぜかわかりませんが、今回に限り、「移民」という言葉をはずして私のコメントにレスしています。ここで「移民」が頭にあるかないかは重要な点です。ここでも強調しますが、差別のまったくない環境というものを私は知りません。人に歴史あり、その人の人生における対人接触の経験からそれぞれいろいろな考え方があると思います。もちろん先入観なしにすべからく公平に人に接することが出来、まったく差別に係る問題が生じない社会が出来ればそれは理想的だとは思います。 大臣についてはこのような大臣がいまそこにいる事実があって、それが飾りであろうとどうであろうと存在することには違いありません。大臣のポストはどのような出自の人にも開かれているのは曲げようがないのです。ただ、事実としてある、それだけのことです。
 また、mojimojiさんも「問題があるんじゃないの?」というお立場ならば、「どのような問題があるか」を説明「すべき」ではないですか?私が仮に「問題がない」という立場であれば、そんな私が「問題がないこと」を説明しなければならないのは悪魔の証明を求められていることになるということに気づかないのでしょうか?但し、そんな立ち位置ではありませんけどね。

(5)最後の言葉

最後に誤解のないように申し添えておきます。
別に、「差別があるに決まっている」と決め付けたいわけではないのです。ただ、少なくとも、若者の暴動に関して、そこに「どこにでもいるならず者」であり、「社会的な問題として認知すべきことはない」と言わんばかりのトーンに強い違和感を感じているだけです。確かにこのような若者はどこの国にもいますが、ガラの悪い若者がどこにでもいるかどうかということと、それらの背景に問題とすべきことが何もないかどうかということとは違います。どこにでも現象があるということは、どこにでもそれを引き起こす察知されるべき問題がある、と考えて何の矛盾も生じません。それが、移民への差別かどうかは、基本的にどうでもよいです。たとえば、「 Jfenestrae」で予告されているように「社会政策の不備」という理由でもよいのです。
 もちろん、本当に何もないなら、それはそれで構いません。しかし、そのような主張を信じるには、antiECOさんのエントリにしても、ご紹介のま・ここっとさんのエントリにしても、とてもじゃないがその根拠としては不十分だ、ということを申し上げているだけです。

 間接的な書き方をすると伝わらないようなので敢えてストレートに書きますが、背景の問題について語る前に、今回暴動を起こした若者を実際にその目にし、その生活を知り、そして会話をしてみれば?ということです。
 フランス在住者は少なくとも何らかの形で彼らとコンタクトがあります。そして肌で感じたことをこれもまた「なんらかの形」で表現しています。フランス在住者ならば、あの地区は「問題地区」と呼ばれるくらいように、あの全国に750ある地区には問題があることなどもちろん前提として書いてます。誰も「問題がない」などと書いていませんが。生活保護を受ける者も多く、学校の落ちこぼれだってたくさんいる。そう書いてあるでしょう。だからこれまで政府はいろいろと対策を講じてきたのだし、さらに今回、いくつかの措置を発表しているということも皆さん書いています。

「移民だから学校を落ちこぼれた、移民だから差別された、移民だから抑圧された、そして、政府は満足な対応を取らなかった。だから彼らは火を放った」と単純化するのはどうでしょうかと聞いているだけのことです。 暴れている彼らは人様の店や車に火を放たなければならないほどすさみ、蔑まれ、抑圧されているのだというロジックが、フランス人としての権利と保護を完全に有する彼らのおかれている今の境遇、教育制度、サポートシステム、そしてその生活ぶりを垣間見ると何かしっくりこないものがあるということが書かれていると思うのですが、どうやらそのようには受け止めて頂けなかったようですね。残念です。

(6)そして、余談
 余談として、こんな報道があったことも付け加えておきます。今までの対策が足りなかったとする政党、今までの路線でよしとする政党、そして、甘すぎたんだとする政党もあるという事実です。(ここにこの記事を引いたからといって、国民戦線に賛同とかそうでないとかの話ではないです。為念(笑)。)

移民に敵意むき出し 仏暴動で極右政党党首
フランス各地で移民社会の若者らによる暴動が続く中、極右政党、国民戦線のルペン党首が「暴動参加者からフランス国籍をはく奪すべきだ」と、敵意むき出しの発言を繰り返している。犯罪と移民を結び付ける運動を展開して2002年の大統領選で決選投票に進んだルペン氏は、暴動を党勢拡大の好機と見ているのは間違いない。同党は14日夜「移民、暴動、都市郊外での爆発。うんざりだ」とのスローガンの下、パリで集会を開く予定。フランス公共ラジオは、暴動発生以来「入党申請が殺到している」とする党側の話を伝え、ルモンド紙も「暴動は移民政策を激しく攻撃する急進的な右派や極右に、格好の足場を提供した」と指摘する。(共同通信

 そして、私が余談2として書いた部分をもう一度。(長いので抜粋)。 (「余談」=本筋をはなれた話。ほかの話。 by広辞苑。 余談でここまでひっぱりますか?)

 どうも、今の先進国での貧困の共通的イメージって沸かないんですよね。特に今お暴れになられている彼らを貧困層と呼ぶのには違和感がある。差があることは認めますよ、彼らにとってアディダスやナイキ、iPodPSPにはそう簡単に手が届かないのはわかる。ラッパーやDJにあこがれ、パリのクラブに出入りしたい気持ちもわかる。そのあたりは日本の平均レベルよりも遙かに低い。だからといって、彼ら以外の少年少女に自由になるカネが回っているかと言えば、必ずしもそういうことでもない。フランス人の親というのは、ある意味ケチというか、子供にそうそう自由になるカネを渡さない。普段小綺麗な格好をしている中高生なんてあんまりみかけない。男女問わずジーンズにごく普通のシャツを羽織るだけだったりする。そういう意味でガキレベルの普通の生活レベルではあんまり差はないんじゃないかな。
 昔と違うのは、NYで、LAで、ロンドンで、そして東京で何が起こっているか知りうる環境にいるということ。なんか俺たち損してねぇか同じタメなのにっていう気持ちが沸いてきても不思議はないわな。
 でも、大体話がおかしいのは、ブログで煽っていた奴が捕まったり、携帯で連絡とっていたとかニュースになっているけど、パソコンとか携帯持っている連中を貧困層と呼んでいいのか、このフランスでっていう気持ちも一方ではある。それに奴ら平気でタバコ恵んでくれって近づいてくるしな。割とそういうところがこっちに住んでいると同情する気になれないってのもある。なんでもいいから働くかスポーツやるか勉強するかしろよってね。うろついてたりたむろってたりしても何も変わらんだろうにってね。イスラム教って、酒、タバコ、ドラッグOKだったっけか?かっぱらいは?木を見て森を見るじゃないけど、イスラム教とか貧困層ってイメージではないな、私から見たやつらは。それでも「クズ」とののしるサルコジさんはけしからんですかね。

 
注)なんでわざわざ余談としてこのような含みのある文章を付け加えたかなんてのを説明するほど野暮なオヤジではないので、質問はご容赦願います。

おしまい。