今だからあの件を少々語っておこう。(文中一部削除並びに修正しました)

注)当事者の方がブログを休止されたこともあり、本エントリーを大幅削除、修正いたしました。(目玉焼きには何と言ってもソース(それも中濃)です!)
コメント、TBいただきましたotsuneさん、t9930211さん、済みません。 m(__)m

まずは、ised@glocom倫理研第4回議事録(http://ised.glocom.jp/ised/20050514)をお読み下さい。
 
その3ページ目 3. 情報流通回路にのった実例の一番最後のところに、加野瀬氏の事例紹介があります。
 
この話は、その後、

北田暁大氏の以下の発言へと間接的につながったようです。
 

 それでは最後のコメントになります。ブログモデルのコミュニケーション空間では、些細なことで祭りになる状況が加速していくのではないか、と問題提起されていますが、これはなにもネット固有の問題ではなくて、よりマクロな社会的な動きと連動している可能性もあるのではないかと思うんです。

 たしかにブログで騒ぎになりやすいのは、いわば「あびる優」*4的なものというか(笑)、たとえば未成年の飲酒やタバコといった、つまらないといえばつまらないことなんですね。日常的にいえば些事に入る部類の問題が展開することが多い。こんなことをいうと怒られてしまうかもしれませんが・・・。そうした「道徳化」の傾向は、ネット言論の世界に限らず、世の中全体に広まっているのではないか。喫煙が些事とはいいませんが、たとえば「禁煙ファシズム」なんていう言い方もありますね*5。過剰に道徳的な潔癖症というか、道徳的全体主義というか、そういった方向に向かっているという指摘もある。その点についてはどのようにお考えでしょうか。

これに対し、加野瀬氏は、以下のように対応されています。
 

 そうですね、あびる優問題はたしかに分かりやすい例だと思います。過剰に道徳的であれというムードがあるのは事実ですし、ネットの動きは社会の大きな動きを反映しているのかもしれない。しかし、それがどうして生まれたのかまでは考えたことがなかったですね。

また、加野瀬氏は、炎上の定義について、以下のようにも発言してます。
 

掲示板やブログのコメント欄など、要は「訪問者が書き込める場所」に多くの書き込みが集中し、対処ができなくなる状況のことです。ただし、それは単に数が集中するだけではありません。たとえば応援の書き込みだけが続けば、それは炎上とは違います。

 ただ、書き込みの内容にまで踏み込んで定義をするのは微妙なんです。たとえば否定的・批判的な書き込みが1,2個続いただけで炎上だと騒ぐことがありますが、それは普通に議論をしているだけですよね(笑)。いまはちょっと否定的な書き込みがあって盛り上がると、それだけでイコール炎上になってしまっている。炎上という言葉の定義はきわめて緩くなっているのが現状だと思います。

 さしあたってここでは、賛否両論ともに盛り上がっており、相対的に否の多い状態、という定義を付け加えたほうが議論はしやすいと思います。基本的には、ネガティブなイメージを必ず含んでいるものです。

 
実は、当時エントリーとして書かず、保存だけしておいたものがあります。

その概要は以下に。

これよりも数日前に一橋大学のネット上の掲示版で起こった大学主催の新歓コンパ合宿を巡って保護者と大学事務局とでひともめあった。今でもおそらくググればヒットすると思うが、概要はこう。
大学から新入生に新歓コンパ合宿の案内を見た学生の保護者が大学の掲示板にうちの子は未成年だし酒は飲めないので参加をやめさせたい旨書き込んだが、大学の姿勢は、あくまで自主性に任せ、強要することないとの説明で終始一貫、そしてかなりの議論に。このやりとりは途中で大学側から継続しない旨の連絡にてほぼ強制終了。

つまり、何を意味したいかと言えば、世の保護者の中には大学は違えど新歓コンパ合宿を問題視する人が現実にいる(いた)ということ。
 
一方で、先のジャニーズ未成年者飲酒の件で世に知れ渡ったように、監督者の立場で同席した大人が未成年者に酒を飲ますとその責任というかツケはかなりきついんだという事実。
 
さらには、事実関係として、あの時期に急性アルコール中毒で救急車で運ばれた新入生の報道が相次いでいたこと。

 
まぁ、このようなことをいちいち挙げなくても、あのエントリーをインターネット上に置くリスクについては、(すでに削除済みの)私のエントリーのようなスカスカな内容でも、賢明な管理人ならば一読で十分察することが出来たはずですし、実際トラバの直後にサクっと記事削除、さすがだと思いました。。

だから、私の削除済みエントリーを目にした人は本人以外ほとんどいないという事実があります。読み損なったとのコメント等を結構目にしました。
(それ以外の伏線についてはここでは混乱するだけなので書きません、あしからず。キーワードで言えば、炎上臨界点とか、実験とか関係するかも知れませんね。)
 
要は、「炎上回避」のための削除ではなく、「リスク回避」のための削除だとは思わなかったのでしょうか。
 
(以下、追記です。id:otsuneさんから炎上回避とリスク回避の違いを尋ねる質問がありました。
炎上回避は、「そのエントリーもしくはそのブログのコメント欄が荒れたり、多数の批判的なトラックバックがつき、管理人による事態の収拾が困難もしくは現実的に対応可能な状態を越えた状態を避けることもしくはそのための措置、
リスク回避は、「エントリーやブログの内容の評価よりも、管理人もしくは関係者、関係団体等に不利益もしくは危険が及ぶことを事前に避けることもしくはそのための措置」
と分けて考えています。
では、炎上中の実名暴きなんてのはどっちだみたいな議論があるかも知れませんが、実名暴きはあくまで「炎上回避」もしくは「リスク回避」を行うことができなかった結果の事象であって、それ自体はどちらにも属さないというのが個人的な見解です。
 
比較的自分のブログにおなじみさん以外の多くの方が訪れるようになった場合、エントリーをアップする時点もしくはたった一つのコメントであってもリスク回避するべく適切な準備や対応が必要かと思います。一方で、火付け、荒らし、コメントスクラム(ラッシュ)などによりぼやが上がった場合は、相手を見てそれなりの措置(丁寧なレス、コメント欄の一時閉鎖や限定、IPしばりなど)を図る必要があるでしょう。
 
ところで、はてなブックマークは、「おなじみさん以外の多くの方」が訪れる機会を増やす効果があるので、書き手にとって精神的に負担が増える可能性が大きいように思います。炎上も以前より速くなるかも知れません。もちろんメリットもあるわけで、諸刃の剣だとは思いますが。 追記終了)
 
いや、もし、ほどなくして削除されたあの管理人のエントリーと私のエントリーの現物をご覧になっていないのであれば、余計に憶測で勝手に炎上(の疑い)の扱いをされたということでしょうか?
 
「記事を削除したから炎上といえるでしょう」って短絡的過ぎませんでしょうか。
 
それじゃあ、役人日記のid:t9930211さんは、しょっちゅう炎上ですか?違うと思います。

コメント欄の指摘により、本人が削除もしくは修正が必要と感じ、これを実施することは、普通に「あり」なんじゃないでしょうか。
 
  
次に、ふくらんだ方の話について。
 
北田暁大氏のご発言のこの部分、

たしかにブログで騒ぎになりやすいのは、いわば「あびる優」*4的なものというか(笑)、たとえば未成年の飲酒やタバコといった、つまらないといえばつまらないことなんですね。日常的にいえば些事に入る部類の問題が展開することが多い。こんなことをいうと怒られてしまうかもしれませんが・・・。そうした「道徳化」の傾向は、ネット言論の世界に限らず、世の中全体に広まっているのではないか。

この倫理研、開催が5月14日ですから、ジャニーズの件はまだ起こっていなかった訳で、まさかあんな事件が起こるとは思ってもみなかったのではないでしょうか。
 
でも、あのような事件が起こる土壌として、私自身、保護者、監督者になりうる大人側に、この北田さんの発言みたいな傾向があるように感じていたので、その意味も込めて、あの管理人への苦言という形ではあったものの、それを目にする成人側へのメッセージでもあったのです。
 
あとづけじゃないのという反論がもしあれば、あのエントリーにははっきりと、(当該管理人のあのようなエントリーを目にすれば)大人の責務として注意せざるを得ないのだという趣旨のことを明示していましたと先に反論しておきます。
 
今も残る一部のコメントを見ても、大学生の酒ぐらいでいちいち目くじら立てるなみたいな雰囲気が蔓延していますが、その雰囲気こそ、大人側が大きなリスクを抱えてしまっている証拠だと思います。
 
「おっさんっていちいちうるせえこというもんだ」と思ってくれてOKなのですよ、実際、当時、一部の方とそんなやりとりがありました。
 
世の中の「道徳化」の傾向事態は否定はしませんが、少なくとも、お酒や喫煙について、自分が過去をゲロったりするのはともかく、一方で、未成年に対しこれを無責任に寛容な姿を見せるという大人側のモラルの崩壊が進んでいるのも、また、傾向として事実なんじゃないでしょうか、「まぁ、うるさいこと言いなさんな」とちょっといい感じの人を装う傾向。
しかし、そのモラルの崩壊は時には大きな社会的責任を取らされるのだということに、先日のフジテレビのアナの事件で気づかされたということでしょう。
 
なので、加野瀬氏の
過剰に道徳的であれというムードがあるのは事実」とのご発言には、
今でもそう思ってますかと問いたいですね。

そして、「過剰に道徳的であれ」ではなくて、「(監督すべき)大人側が緩みっぱなし」というムードなのはいかがなものか、リスクを負いきれますかということに気づくべき何じゃないでしょうかとお伝えします。
 
最後に、炎上の定義については、炎上かどうかの判断がこのようであれば、再度検討する必要があるんじゃないでしょうかと付け加えておきます。
 

<追記>
メリット云々関係なしに、お伝えすべきことはお伝えします。→加野瀬様(ネットで不快になっても相手に不快さをいつでも伝える必要性はない - ARTIFACT@ハテナ系