例のIT産業とかの話ですが

 
いろいろと書き散らしているものの、伝えたいことが、なんていうんでしょうか、ビシっと書けなくて悩んでいます。真意をストレートな表現でなく伝えるのって難しいですね。
即答できる点としては、「パリに行くのが好き」なのではなく、「活動拠点がパリ」だということと、IT産業をまったくの蚊帳の外からやいのやいの言おうとしていることではないという点でしょうか。おそらく昔の話をご覧になった方ならばご存じかと思うのですが。
 
済みません、話が見えないですよね。
私の
予告どおり、「あれっ」と思う話でもしておかないと - antiECOがいるところとか
驚いた、「 コップ半分の水を見て - My Life Between Silicon Valley and Japan」には。 - antiECOがいるところとか
面白いトラックバックを頂いたので続きでも書いてみようかと思う - antiECOがいるところとかに関していただいた
IT産業「も」必要じゃない?(続・IT産業に勤める人の職業意識) - シバチョが第1.5の人生を考える
などに関しての話です。
 
ITなんていらないなんて思ってないですよ。今日も、こんなニュースがありましたね。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050630-00000202-yom-soci
いいことだと思いますよ。

ただ、順序としてうちの子供達には実際の絵を見たり、音を聞いたりするところから始めて、興味を持ってそういったものを活用する順番であって欲しいと思っています。
そして、絵のまわりのスペースの取り方、照明の当て方、角度などや、他の絵とのバランス、至近距離に寄ってこそ初めてわかる筆のタッチとか、距離の違いによる絵の見え方などを知って欲しいと思っています。へー、こうやって書いたんだとか、この距離だとぼやけて何がなんだかわからんけど、このくらい離れると絵が浮かび上がってくるぞとか、額縁にも芸術があるぞとか、匂いとか。
 
音楽にしても、生の楽器の音は違うわけですよ、例えそれが電気・電子楽器だとしても。
 
それはパリに来たから思ったことではないのですよ。美術館で言えば、ワシントンのナショナルギャラリーが一番好きです。
 
私自身はヘビーなコンテンツ利用者でもあるのですが、やっぱり、コンテンツメーカーに非常に敬意を抱いているのですね。知の利用ばかりしていて、それでいいのかと。
 
知のクリエーターが増えていかないと、せっかくIT産業が発達しても限界があるんじゃないのかなと思ったりするのですよ。なので、純粋な気持ちで、若い人にコンテンツクリエーターが増えてくれないかなと思っていたりするのです。この場合のコンテンツとは、知の創造物という意味なんですが。
 
それには、住宅、芸術、音楽、野菜、車、服、靴、映画、アニメ、漫画、食事、ワイン、酒などなど、あらゆる物が含まれるわけですが。
  
そういった生み出されるものの作り手が強い時代が来るのではないかと。
なので、蜘蛛の糸を登ることが出来て、ポケット一杯に札束を抱えて上がってみたら、何も手に入れるものがなかったというオチだけはシャレにならないでしょうという意味での蜘蛛の糸であって、IT産業という意味での蜘蛛の糸ではないんですね。
 
そして、資源に限りがあるというのも、何がに限定しているわけでもありません。
一人一人の生産活動時間には永遠の命が与えられない限り、限りがあるし、頭数にも限りがあるわけで、そういう資源のバランスを考えたときに、今、そして今後はどうなんでしょうかという話でもあるわけです。
 
いえ、それは、私がやらなくても誰かやってくれますよ、という話だったり、行政的思考ですねとかいう話もあるかも知れませんが、職業選択は本人に委ねられているわけです。少子化、高齢化が急激に進む日本において、今の職業嗜好やバランスで行けますかと問いかけてみたくなるのですよ、特に今の20代や30代前半の方々が今から10年とか20年後に今の我々と同じ年齢になった頃の話です。
 
その時、今40代や50代の我々は、必要に迫られて田畑に出ているかも知れませんが、それは自分達のためであって、今の若い方々の分まで供給できる余裕も体力もないでしょう。まぁ、そんな事はなく、今まで以上に周辺国から食料を輸入出来ていればいいのですが。
 
まぁ、歳を重ねるということは、いろいろ余計な事を考えたり、心配性になったりするということかも知れませんね。