不幸なことが起こって
そのことの責任を追求する人たちがいて
その追求の仕方がおかしいという人がたくさん出てきて
そして、それを見るのも疲れている自分がここにいて
また、それをここに書いている自分もここにいるわけで、
どこまでもこの負の連鎖が続いてしまう。
これを忘れることも出来ないし、また、忘れてはならないのだけれど、
このエネルギーの流れ方にはどうしても嫌悪感を抱いてしまう。
聖母マリアに抱かれることのない極東の民は誰に癒されるのだろうか?
少なくとも女神アテナを聖母と見違えることのないよう、心の鏡を磨いておきたい。