ディベートを楽しむということ

これを楽しめることが出来るブロガーはどのくらいいらっしゃるのでしょうか。
id:SNMRさんのところのコメント欄でもちょっと書いたのですが、尊厳を賭けちゃったりするのでしょうか、一回のディベートに。
 
今後、日本が内向きに発展していくのか、それとも、外との交流を深めながら発展していこうとしているのかは定かではありませんが、
もし、今後は、国際的な交流が日本の将来のためには必要と考えている方や、また、そのため語学を若い頃から鍛錬しようというつもりの学生さんなどは、出来れば社会に出る前に、ディベートの経験を積んでおいた方がよいと思います。
 
だって、物事を議論する際に、いつもいつも、自分の信条や主義主張をただひたすら押し通す必要などないのですから。
理にかなっているか否かで自分の、そして相手の主張を判断して、言葉の攻防を繰り返す。時にデータを引っ張り出し、そして、不利なデータを狡猾に気づかせないようにしながら、有利な展開へと持ち込む。そのような訓練を積み重ねていくうちに、いろいろと見えてくるものがあるのです。相手の手の内が見抜けるようになったり、統計の信頼性について気づくようになったりとか。いきなり実践の場でそれをやるのは、非常にリスキーですし、それがうまくいくほど社会は、特に欧米社会は甘いものではありません。
 
メディアリテラシーという言葉を最近よく目にしますが、記事にコメント欄など議論の場を設けたときに、
(1)自分の書いたものが、引き起こすであろう反論やディベートに耐えられるものであるかを判断する能力
(2)他の方が書かれたものが、理にかなっているかどうかを見抜く能力
というものは、そういった訓練を経て身に付くものだと思っていますので、
 
今後のインターネットでは双方向の議論が期待されるようなことを主張される方がいらっしゃるようでしたら、

少なくともご自身のエントリーにおいて、ディベートのお手本を見せていただきたいと切に願うばかりです。
 
もちろん、最近の人権擁護法案を巡る各所での議論は、多少そのやりとりの内容について難解な点はあれども、面白い議論が展開されていて、変な言い方ですが、大いに楽しませていただいておりました。(ちょっと、楽しむという表現は適切ではないかもしれません、英語での「enjoy」とか「interesting」いう単語の方がニュアンスとしてはより近いのですが。それと、「fruitful discussion」という言葉がまさに当てはまるように思います。)
 
一般論はさておき、先日のガ島さんのエントリーhttp://blog.livedoor.jp/zentoku2246/archives/19371031.htmlに私がこだわったことについて、再度説明を試みます。

ガ島さんは、冒頭で、

サマワ取材受け入れ中止。新聞、テレビ各社がライブドアとフジテレビを大きく報道しているさなかに、重要なニュースがひっそりと流れています。(これを①とします)

と、サマワ取材受け入れ中止のニュースが埋もれてしまうことを危惧され、
そのあと、

陸上自衛隊が活動しているイラク南部サマワへの取材団「ご一行様」の受け入れが、『現地での不測の事態を排除できない』との理由で中止となったとのこと。(これを②とします)

と、伝え、
さらに、以下の文章を伝えています。

防衛庁のお墨付きがなければ取材できないのでしょうか? それに、そもそもサマワは「非戦闘地域」であるはず。どこにいても「不測の事態」など起きるわけで… (これを③とします)

①については、意見はありません。(本当はありますが、ここではないことにします。)
 
②についてですが、ここでは、誰が中止の判断をしたのか明示されていません。そして、この中止の判断をしたのは、総理であり、また、防衛庁ということでした。
今回の重要なニュースそのものは②であり、これにより、せっかくのサマワ取材の機会を取材陣は失うことになった訳です。
 
そうすると、③と話が実は直接はつながりません。今回の(サマワ訪問という)取材機会を失ったというニュースと、防衛庁の招待の如何にかかわらずサマワの取材をすべきではないかという話は、別個の話であり、①の「ひっそり流れて」いようがいまいが、後者の話はいつでも問題提起すればよいだけの話です。
 
「このようなせっかくの機会を中止にされるようでは、今後は防衛庁の招待に頼らずに、独自に取材をすべきではないでしょうか?」と続いていれば、話の流れとしては、不自然さを感じないで済んだように思います。私の日本語では、「防衛庁の招待」=「防衛庁のお墨付き」とはなり得ません。また、「防衛庁の招待が取り消された」=「取材ができない」も同様です。(現実として取材を控えているかどうかは別の話です。)
 
これに対し、おそらく、「実際には取材できていないという重要な問題がある」という反論があると思っていたので、先日書いた時点ではあえて触れなかった部分について、今回は触れておきます。
 
③の残りの二行、「そもそもサマワは「非戦闘地域」であるはず。どこにいても「不測の事態」など起きるわけで…」
 
この「どこにいても」というのは、日本国内を含めての話でしょうか。
リスクというものは、日本国を一歩出るだけで格段と高まります。私が暮らすでパリすら、東京で暮らす日本人よりもパリで暮らすフランス人の方がリスクは高く、さらに、パリで暮らす外国人はもっと高いリスクに晒されています。そして、それがより危険な地域になればなるほど、リスクは高まるのです。
さらに言えば、イラクは、治安維持に軍隊が必要なくらいに危険度が高いのです。そして、イラクに今いるのはイラク国民だけではありません。未だテロリスト等武装勢力が存在していることは明らかです。(但し、「武装勢力がいる」=「戦闘を行っている」ではありません。)
そこで、日本という経済大国の大企業に雇用されている人間が、治安維持を行う軍隊のサポートなしに入国し、サマワまで移動するという行動を行うことは、外国で暮らす人間から見れば、「無謀」な行動しか見えません。しかも、日本は軍事的報復措置を執らない国であることをテロリスト達は知っているのです。
なので、「不測の事態」などというリスクレベルの話ではないはずです、「防衛庁のお墨付きなし」に取材活動を行うということは。十分想定できる危険な状況があるでしょう。
 
防衛庁が、「不測の事態」という言葉を使用する場合は、取材団の安全の確保、つまりリスク回避の手だては打つが、ちょうど「オランダ軍」から「英、豪軍」への治安部隊の切り替えの時期ということもあり、避けたはずのリスクを避けきれない可能性も捨てきれないというニュアンスで捉えるのが一般的ではないでしょうか。
 
そこまで考えを巡らせると、私は、

「ネットには一次情報がない」とか「便所の落書きだ」と批判しながら、ジャーナリズムの重要性を声高に主張していた組織ジャーナリストの皆さん。読者のために、サマワから一次情報を発信してください。

などということは、とても言えません。
そこまでのリスクを冒してまで得るべき価値のある情報という判断がとてもつきません。
ガ島さんを含めた読者の方は、サマワからのどのような情報を期待されているのでしょうか。
防衛庁に掛け合い、電話回線を開いてインタビューを行うとか、ビデオ映像提供を依頼するというような方法では満足できないのでしょうか? 欧米に流れているのはそういった情報が中心ですが。

などということを考えた上で、必要最小限の意見を先日書いたのです。
そして、今回書いた意見に対してあり得るだろう反論についても、ある程度想定し、すでにそれに対する意見も用意しています。
ディベートとはそういうことですし、双方向ということは、こういったやりとりが含まれるということです。
 
批判、誹謗中傷という話と、書かれたことについて議論を行う、つまりディベートを行うということは、まったく違う次元の話ということが、今後も根付かないようであれば、ニュース系のインタラクティブなネットワーク上での構築や発展は難しいのではないでしょうか。
サイレントマジョリティが大多数を占めるようであれば、紙媒体のメリットを失ってまで、マスがネットに移動することはないように思います。