春が嫌いな理由(ワケ)

以前書いたかも知れませんが、私は春という季節が好きではありません。むしろ嫌いなくらいです。

一つは、「花粉症」。

最初に目のかゆみと鼻の煩わしさを覚えたのは中学生の頃ですからかれこれ30年ですね。患った当時は花粉症という呼称はポピュラーではなく、田舎に行くと、「都会っ子ってひ弱だね。」とか「だからもやしっ子って言われるんだ。」などとちょっと小馬鹿にされたものです。
その当時小馬鹿にした人が今苦しんでる姿を見て、
「あのときはご丁寧にどうもありがとうございました。」などと嫌みの一つでも言うような了見の狭い人間でもないので、
ただ腹の中で、「おまえもちっとは苦しめ。」程度で済ましたが、
「あんたは時代のいつでも最先端を走ってるね。」などと素敵なお褒めのお言葉をいただいてしまった際には、
「えぇ、私は繊細(ナイーブ)な人間なんで。がさつな人間に生まれてみたかったものです。」などと思わず口走ってしまうとっても小さな人間でした。

二つ目の理由は、「空気の臭い」。(「匂い」ではありません。)

いえ、八ヶ岳などへ出向き、早朝山登りを開始する際の、土の匂いや草いきれは大好きです。

あの、なんて言ったらいいんでしょうか、なんとも言えない合成物の臭い。
秋から冬にかけて道路や建物などがたっぷりと吸い込んだ大気中の汚染物が、春の日差しと暖かさによって一挙に吐き出され、そこら中に漂っている感じのするあの臭いです。
獣や人が放つ臭いとは違って、体が本能的に拒否するのですね、あの臭いを。
この臭いが含まれる空気を体内に取り込むとろくな事がないぞと。

臭いと言うことで話は脇にそれますが、小田急ロマンスカーの禁煙車両の運営方法とか、ホテルの禁煙ルームの運営方法(気を遣っているホテルも当然あります。)なんとかならないものでしょうか。
これも誤解されると困るのですが、その臭いが嫌いというのではないのです。
例えば喫煙者が敢えてホテルや鉄道で皆さんにご迷惑をおかけしては申し訳ないと、禁煙車両を選んだとします。これを契機に禁煙もいいかなぁなどと思いつつ。が、しかし、元喫煙車両をそのまま禁煙車両に使用することほど、喫煙者や禁煙実施者にとって酷なことはありません。

「ほーら、吸えよ、体が欲してるだろう。」
「なにをやせ我慢している。まだわからんのか、自分がいかに無理しているかを。」
「ほれ、ほれ、欲しくなってきただろう、ここではかつて、あの至福の時を皆享受してきたのだ。」
と、まるで車両や部屋がささやいているかの感覚を覚えてしまうのです。

はっきり言って、拷問ですね、あれは。
誘惑に負けて吸い出す者がいたとしても、全部とはいいませんが、一部の責任は車両や部屋そのものにあると断言しちゃいます。
わたし? 試練は受けて立つ方なので、当然頑張りますよ、最後まで。あっはっはっ。二度と乗車するか、ボケ(怒) (部屋は空きさえあれば変えられるのでまだよしとしましょう。)

話は元に戻して、春が嫌いな理由の3つ目、「変化が嫌い」です。
割とね、ずぼらな人間なんですよ、生活保守派というか。(笑)
日本人って、子供の頃から3年周期で環境の変化を強いられますよね。
幼稚園3年、小学校6年(3年×2)、中学校3年、高校3年って。社会人になっても、割と3年で異動なんてのが社会のスタンダードだったりしてそのたびに強制リセットを掛けられるわけです。
これが、ね、どうも精神的によくないんですね、自意識過剰なのかも知れませんが。
だってね、多少なりとも人間関係の再構築が必要なわけですよ、そのたびに。
私のような小心者はね、対人関係において非常に気を遣うわけですね、やっぱり平和が一番ですから。
でも、どうしても相性の悪い相手はいるわけで、必ずといっていいほど春の早い時期に登場するんですね、そういうキャラの方が。
そうすると、唯我独尊、そんなの知るかタイプのストレスフリーな方は被害がないわけですが、そういったキャラの方はわたしのような、もう一度いいますが「小心者」の人間のところに狙いを定めて寄ってくるんですね、こいつは大丈夫そうだと。お前はゴルゴ13かというくらいの腕前なんですね。つまり、その判断は正しいわけですよ、こっちは、むげにするなんてことできるわけがない小心者ですから。
で、何が起こるかというと、向こうの方から楽しそうな声が聞こえてくるんですね、我々がメジャー集団だと誇らんがばかりに。わたしも本心ではあっちに混ざりたいと思っても、こちらにはとても素晴らしいキャラがアロンアルファの接着力よろしくピタっと張り付いて微動だにしないわけですよ。ポストイットとは違うんですね。よく見ると向こうには唯我独尊君や我が世の春ちゃんがいる。この時点でちょっとあきらめるわけですね、しばらくはアウトサイダーを貫かなきゃならんかと。
ここからは涙ぐましい努力が始まるんです。なにも、私自身、このゴルゴ君が嫌いというわけではないのです、というかよく話を聞くといい奴なんだけど、ちょっと普通とは違う主義主張があったり、大集団で騒ぐのが苦手でサシでの語りが好きだったりするだけだったりするんですね、まぁ、それをよく人は変わり者と呼ぶのですが。それじゃあ、彼をこの社交界デビューさせるべくなんとかしようではないかと。
彼のセールスポイントはどこか、また、あの集団にはなにが受けるかなど調べつつ、少しずつ受け入れそうな人間とのコンタクトを始めるわけです。そうやって、自分たちの輪を広げていく。時間をかけて広げていくわけですから、結構みんなうまくやれたりするんですね。そうなってくると、唯我独尊君らが暴発してくれたりするんですね。そうなったらしめたもので、いつのまにやらこちらが正規社交界になってたりするんです。ハッピーエンドですわ。
ん?エンド?
そうなんですね、そうやって、やっと安住の地が築かれたかと思ったらリセットなわけですよ。
「環境整備はすべて終わった、これから我が天下を謳歌するのだ」
歓喜に満ちた瞬間、
「革命が起こりました、一からやり直してください。」の号令が。
「季節は春だぞ、我が春はどこへ行った。」と力一杯叫んでも、むなしく響くだけ。
皆解散してどっかに行っちゃってるんですね。根回しに奔走した裏方には何も残されていないんですよ。
いや、
「お前がいたおかげで充実した生活をおくることが出来た。感謝してる」
などという嬉しい言葉はいただけるんです。
でも、これってつきあってた彼女に、
「あなたとつきあえてよかったわ。あなたには感謝してるの。あなたなら、きっと私より素敵な人が見つかるわ。」
という定番の別れの言葉と実はあまり変わらなかったりするんですね受け止める方としては。orz
ということで、スタート地点にしっかり戻されてるんですね、有無を言わさず。

妻に言わせると、
「あなたは、誰にでもやさしいから、自業自得。」ということらしいですが、
一部の人にしかやさしく出来ない人間よりもみんなにやさしい人間の方が悪いみたいに言われるのは腑に落ちないんです。
なのでその旨反論すると、
「みんなにやさしくできるそんな出来た人間なんているはずがない。そのやさしさはどうも胡散臭いのよ。」と切り替えされるんですね。
さらに、
「そんなにたくさんのやさしさがあるなら、まずは家族に使えるだけ使って、余った分だけよそにまわせ」と言われる始末。

話がよくわからない方向へ向かってしまいましたが、だから春が嫌いなんです。我が世の春が欲しい。

それから、女性の「やさしい男(ひと)が好き」は「私にだけやさしい男(ひと)が好き」の誤りらしいので、どうか、勘違いなされぬよう...といってもそんなこともわかっていないのは自分だけか。(再び)orz