一日の最後に刺激的なエントリーを見てしまった。

それは、
湯川さんの
ネットは新聞を殺すのかblog(「日本的経営のよさ」の薄っぺらさ)
というエントリー。
書こうかどうか悩んだけど、やっぱり海外に暮らすものとして書くべき事は書いておかないと。

(1)駐在員の給料について

「駐在員」と「現地採用者」の給与は、本当にケタが違うことがある。

おそらく月額で1万ドル台と数千ドル台、年額で10万ドル台と数万ドル台という状況であれば、ケタは違うだろう。

しかし、
①駐在員と現地採用者の給与格差があるのは、日系企業だけですか?
例えば日本にある米国系企業や欧州系企業の駐在員と日本での採用者は同水準の給与ですか?
②なぜ、駐在員と現地採用者(日本人)とを比較するのか?比較すべきは手当の差がない現地同業種の給与基準とすべきではないのか。
③駐在員と現地採用者の大きな違いは、駐在員は生活の基盤を日本に残しているのに対し、現地採用者は元々生活の基盤がその地にあるという前提で採用されるはずだ。
よって、駐在員には日本での給与に加え、(これは企業によりけりだと思うが)、現地での住居費や日本との通信にかかる費用、家族を呼び寄せる費用、教育費や日本食材の調達費用などの日本で働いていれば必要のない諸費用が手当として支給されることになる。単身赴任手当の拡大版みたいなものと考えればわかりやすいだろう。(教育費は現地校に行けばよいではないかという反論もあるかもしれないが、その地に永住するわけではなくいつかは帰国するのだから、日本語教育等が当然必要とされる。また、特に家族の語学教育費なども必要だ。)
④駐在員は必ずしも現地に希望して配属されている訳ではなく、かなりの遠距離、異境の地への配置転換だ。それなりの給与保障がない状況でのそのような派遣が企業ごとの労使協定や給与協定等で成立するとでも考えているのだろうか。

(2)住居

わたしが米国に住んでいたころは、「駐在員」の多くは郊外の閑静な住宅地の中の大きな邸宅に住み、「現地採用者」の多くは小さなアパートに住んでいた。

駐在員にはおそらく企業側が社宅として借り上げた住居があてがわれるか、もしくは自分で手配をしたのであれば、それなりの家賃を払ったのだろう。
ただ、ここでの文章のミソは、大きな邸宅は「郊外の閑静な住宅地の中」と説明があるのに対し、小さなアパートにはそのような説明がないことだ。
現地に生活の基盤をおいていてその地がよくわかっている「現地採用者」に比べ、「駐在員」は右も左もわからず、事務所の所在する街のどこが安全でどこが危険かの判断をすることは来てそうそうではまず不可能だ。だから、企業側が郊外の治安の比較的よい場所に社宅を確保するか、前任者から引き継ぐか、もしくはそういった物件を企業側が斡旋するケースが多いだろう。
また、郊外の大きな家と街の中心部の小さなアパートの家賃の差はどの程度なのだかが明らかにされていない。なぜ家賃の差ではなく、大きな邸宅と小さなアパートという言い方をわざわざするのか。
しかも、現地採用者が経済的に可能であっても将来のために小さなアパートに住んでいる可能性だって十分ある。実際、パリでもそうやって蓄財して30ー40代でアパートや郊外の家を購入する人は多い。

(3)日本人コミュニティ
ある地域で会員資格が日系企業社員であったゴルフサークルが、現地採用職員の参加がらみで、会員資格を「日本の本社からの駐在員」に書き換えたとのこと。
仲良しサークルの話がなぜ「日本的経営」の話にまで飛躍するのだろうか。
趣味の仲間内のルールはその人たちが楽しめるためのものを勝手に作ればいい。趣味の世界に社会通念みたいなものが持ち込まれることに違和感を感じる。
日本から離れ、それなりに精神的に負担のかかっている人たちが、心を休めることが出来る環境、つまり、現地との接点とは切り離された環境を必要としていると考えることが出来ないのだろうか。現地採用職員であれば、地元との接点が少なからずあるだろう。それが嫌がられた可能性があるのではないだろうか。
実は、パリにも日本人の心のケアを努めて長い日本人精神科医の方がいらっしゃって、これまで多くの方がお世話になっているくらい、海外駐在というのは外側から見るほど素敵なものではなく、見えない負担が大きいものだ。

給与を数字だけで見れば、駐在員の給与は平均的には高いことは否定しないが、それは、日本企業に限ったことではないし、また、それぞれの企業が判断することだ。それに、それぞれの企業でこぞって海外赴任を希望していて大変な競争率だなんて話もあまり聞かない。(アジア方面はそれでも多少人気があるようなことを聞くが。)
それよりも、赴任による精神的負担が大きい(家族関係のトラブル(現地社会への適応が出来ない、勉強が遅れる、ホームシックになる、病気になるなど)もよく耳にする)ことから、それぞれの企業の中でも比較的タフで、語学、管理、社交能力がある、つまり、企業にとってはつぶれてもらっては困る将来の幹部候補生が派遣されるケースも多い訳で、それと現地採用者とを同じ土俵で比較していること自体に疑問を感じる。

そういった事情を説明することなく、ゴルフコミュニティでの例を示しながら

互いに礼儀正しく、敵対的買収などしないのが「日本的経営のよさ」だといわれる。しかしその「日本的なよさ」は異質な物、仲間と認めない者に対してはまったく適用されないことがある。

と続くことは、どうも海外在住者の一人として腑に落ちない。

最近は、海外赴任の話を持ち出しても応じるものがいなくて困っているといった話を耳にすることが多くなった。

海外でのそういった出来事が、その背景についての分析、考察が語られることなく「そうした「日本的経営のよさ」の薄っぺらさ」と片づけられていることに、違和感を感じる海外在住者も多いのではないだろうか。