少子化対策おっさん流

締め切りまであと時間わずかというところで、NILさんの最近のエントリーだんながまた出張 - お金について考えたことで、

[R30]: 出産育児手当は少子化対策になる…わけねーだろ
で始まった少子化議論であるが、少しは既存の議論やデータを踏まえてくれないかなあ、と思う。

という厳しい指摘があった。
NILさんは以前にもそのコメントの中で、
第12回出生動向基本調査 結婚と出産に関する全国調査 夫婦調査の結果概要(http://www.ipss.go.jp/ps-doukou/j/doukou12/doukou12.pdf
といった資料の情報も提供して頂いている。
まあ、これだけの資料を専門家以外の一般ブロガーが読み漁るのもちょっとしんどいかなとも思うが、彼女の推奨する資料以外にも以下に掲げる資料が参考になるので、ついでに掲げておく。ただ、議論の積み上げにこういった資料が最初から必要かどうかについては、あとで述べる本論で言及する予定。
出生前後の就業変化に関する統計
http://www.nippo.or.jp/cyosa/hei13/03/03_ta.htm
なお、最近のニュースで関連のあるものとしては、博報堂生活総合研究所の10代女子を対象にした調査結果速報 http://www.athill.com/INFO/NEWS/main_050114.html や、
母子家庭が急増したニュース(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050119-00000016-yom-soci)、
山口の子育て支援センターのニュースhttp://www.nishinippon.co.jp/media/news/news-today/20050119/yamaguti.html#002
などが興味深い。

ところで、本論に入る前に、以前ぎょろさんから頂いたコメントのうち移民に関係する部分についてのみ、コメントバックをしておこう。

学歴よりとっとと社会に送り出しちまえ説に関して言えば、学歴に職能が比例するかどうかはまた微妙なところですが大筋で比例するものとして、学歴水準を今より下げた時に、日本の労働者の能力が人件費・設備費に対して見合わないと企業が判断した場合、企業は事業をインド・中国・ブラジル・ロシア・南ア辺りにがんがんアウトソースし始めると思いますよ。

国際競争力が必要とされる産業に関して言えば、企業がその労働市場を、特に高学歴や卓越した技術を必要としない分野について海外に求めたとしても、それは日本国家として総合的に見れば許容されるべきではないかと思うのですが。
但し、それを移民として自国に受け入れるとなると、前にも述べた10年での永住権付与の問題とか家族、親族の受け入れ、地域のコミュニティとの交流問題、社会保障・福祉などいろいろ解決しなければならない課題が出てくるので、厳しい状況にあるでしょう。
また、これは欧州の企業において割と普通に行われていることですが、高校卒業の段階である程度以上のレベルにある学生を採用し、自社の研究所などで修行させつつ、ある程度の適正分野が見えてきた段階で大学に送り込んで学位を取らせ、その後研究所と大学と往復させながら、見込みがあれば最終的にPh.Dまで取らせて抱えるなんてことをやっています。いわば、プロ野球などのプロスポーツと同じ手法ですね。こういった制度の導入を真剣に考える企業が日本でも現れてくるとよいのですが。
それと、あの話の中で私が特に主張したかったのは、同年齢で例えば100万人いたとしたら、全員が高等教育を受けたとして、その100万人のうち企業の能力に見合う能力を身につけることができる学生の割合が今に比べ劇的に向上し、職能を有するようになることについてはかなりの確率で疑わしいと考えているのと、特に地域コミュニティに密接に関係する所謂衣食住関係の商業等サービス分野の将来の担い手は、日本人もしくは日本的文化を十分に理解し、融合しようという考えの外国人の方中心であるべきではないかと考えるからです。そうでないと、日本の地域コミュニティそのものの円滑な運営が外国人の割合にもよりますが、かなり厳しくなるものと予想されます。

オマケとして移民に絡めた物言いに変えれば、彼等は日本が少子化でつまづいて経済力が落ち始めた時には、わざわざ移民としてやって来なくても日本企業からのアウトソーシングによって、自国で悠々お大尽していられる様になります。シリコンバレーに出稼ぎに来ていたインド人で自国に帰る人が最近増えてきてるのと同じですね。

これはそのとおりでしょうね。ですから、欧州社会の移民受け入れについては非常に慎重です。フランスに限って言えばほどんど増えていませんし、一時滞在についても非常に厳しいです。(そのあたりの背景はまた時間が出来たときにでも。)
といったところでしょうか。

<本論としての少子化対策

1.大前提
 まず最初に思いっきりマクロな見解を呈示しよう。
 それは、国の政策は、まずは日本国民を構成する層のうち、比較すれば弱者とされる層に救いの手を述べることを最優先すべきだという考えに立ち返りたい。
 では、比較的弱者とはどういった層が該当するかと言えば、老人であり、子供であり、また、低所得者層がまず挙がるだろう。
 そのうち、老人については社会保障制度により(人によりその金額に違いがあるものの)年金が支給されるシステムが確立しているし、老人医療や各種優先、優待など手厚く保護されていることには異論はないと思う。
 ならば、子供に関してきちんと弱者救済の措置が執られているかという点を考える必要がある。つまり、社会に出て働くまでに、横並びで見てすべての子供に分け隔てなく必要最低限のケアが施されているかということだ。
 さらに言えば、選挙権のない子供達の代弁者として、直接の保護者やその祖父母、そして社会人たちが果たしてきちんとその権利を保護するべく働きかけをしているかだ。
 そのうち自分たちは引退して救済される側に回るのだが、「自分たちはいずれ救済されるものとして、今の子供達に対してふさわしいことを果たして現在きちんとしているのか。」という声があまり聞こえないというか聞こえにくいのだ。
 少子化対策を少なくとも行政レベルでどうすべきかという議論を行うのであれば、社会人という層の一員として自分や他人の子供の別なく、すべての子供の健やかなる成長を期待できる社会の実現を最優先に考えるというポジションに立ち位置をおくべきと考えている。
 なので、今の税の使い道については、老人よりもまず、子供を最優先にすべきだと考え、R30さんのところでの議論では、シンボル的な意味として「5万円の育児手当」という設定をあえて据えてみた。
2.子供の健やかなる成長に対する投資と少子化対策の関係
 上に掲げた考えを少し具体化すれば、国を挙げて、もしくは日本国そのものが、未来の日本社会を担う子供達を一丸ととなって育て上げるという意思表示が、そして施策が必要な時期が来ていると思う。
 その意思表示であり施策は、子供が社会人としてデビューするために最低必要な衣食住を除く経費及び必要だと思われる社会的システムとそれに必要な経費は国家で面倒を見るということだ。これは、その子の直接の養育者だけでなく国民全員が養育者となるのだ。
 そのためには国の財政支出を徹底的に見直せばいいし、年金制度の受給率や対象を見直すことも場合によっては必要だろう。それでも足りなければ国民全体で面倒を見るという点では消費税率を上げることも視野にいれればいい。
 そうすることによって、子供を持つことによる経済的負担、精神的負担をより具体的に軽減すれば、子供を持つことの不安感が少なからず解消されるということが期待できる。
3.具体的施策
 具体的施策については、あくまでも、子供にとってその結果いかにハッピーかという観点で施されるべきだ。
 仕事を続けたいからという親の理由で保育所の整備を進めるのではなく、親が仕事を続けることにより、本来は親によって施されるべき保育にある程度近い保育を子供が受けられるようにすべきだし、専業主婦(夫)がいる家庭でもその親御さんが育児に疲れてその影響が子供に出るくらいなら、少し親に休んでもらって替わりに保育士さんがヘルプする。育児休暇の許可が企業から出にくいのであれば、その親には早期復帰してもらうかわりにそのデメリットを子供が受けないように、施設で保育を受けられるようにする。
 しかし大切なのは、子供に直接愛情を注ぎ、成長を見守るのはあくまでその子の親の役目であり、親は子育てに出来る限りのことをすべきだという理解のもと、国全体でフォローするということでないと国全体としてのコンセンサスを得ることは難しいだろう。
 理想的には少なくとも1歳までは母乳で育ててあげたいし、母乳主体の食事がお母さんの体質等により難しいようであっても、やはり母親に抱かれて授乳もしくは食事を取った方が健やかに育つだろうし、それも難しいようなケースであれば、父親に抱かれて育った方がいい。それも許されぬ状況、環境であれば、施設を利用できるようにすればいいし、その費用を国が負担すればいい。
 但し、保育施設の拡充など、社会的システムとして出生率1.8を実現しているフランス並の基盤が整備されるまでには5年から10年単位の時間がかかる。であれば、その間、育児手当の大幅支給により、家庭レベル、地域レベルで工夫をしてもらい、また、経済的負担をなるべく軽減すべきと考える。失われた時間を取り返すことは出来ない。
 保育施設等の整備の遅れや企業の現行の体制が女性の社会進出を阻んでいるとか、養育者にも社会との接点が必要などという概念が持ち出されることについては強い違和感を感じる。
 なお、教育に関しては、日本社会デビューに必要なレベルまでを国は担保し、それ以上のエキストラな部分については、親もしくは本人の意思により自己負担すべきものと考えるが、国策として重点を置く研究分野などに投資することは、子育てとは別の視点で必要だと考えるが、少なくとも少子化対策や子供支援とは切り離して検討されるべきだ。
4.その他
 パリのバスの車内にはベビーカー優先のエリアがあり、ベビーカーをたたんだり、まわりの乗客を気にする必要はない。また、乗り降りも苦労しているようであれば誰かが手伝ってくれる。地下鉄の階段でも誰かが率先して手伝ってくれる。
 また、TGVなどを利用して長距離の移動をする際、子供用のカルトアンファンという会員になれば、両親は半額、そして子供はタダだ。例えば親子4人で移動する場合、親一人分の料金で旅行が出来る。
 それ以外にもさまざまなサービスが用意されている。
 一方で、レストランへの小さな子供同伴は断られるケースも多いし、駄々をこねている子がいれば、あやしてくれる人もいれば、しかりつける人もいる。
 これらの例示はすべて、その親に対する便宜や配慮ではない。
 あくまで子供の事を考えてのことだ。
 つまり、どうしても親が移動しなければならない、もしくは移動したいときに、交通手段に制限があれば、場合によってはどこかに預けるなどして親と離れる状況が出来る。また、感性の豊かな時代に移動費用が高いことにより、休暇時家に閉じこもっていたりしたら子供にストレスが溜まるばかりになり、また、いろいろな場所でいろいろな体験をする機会が失われてしまう。
 レストランで周りのお客さんに迷惑にならないように子供にじっとさせているのもストレスフルだろう。などなど、子供のことを考えて対策が講じられているし、だからこそ大人も受け入れられるのだ。
 統計データで大人側の状況や育児環境を分析することも個別具体的施策の実効性について検討するためには必要だが、あくまでそれぞれの具体的施策は子供の成長のために欠かせないことだという共通のポリシーが存在し、その目的の達成のために実施するという前提がない限り、利害関係者間の理解は得られないと考える。
 並河氏との根本的考え方の違いはこのあたりにあると自分では考えている。
 R30氏のご提案は、対策の対象が親、中でも共働き夫婦に置かれている以上言わずもがなである。(頑張ってとりあえず子供一人育てていても評価されないシステムは論外だし、義務教育制度と矛盾するというNILさんの指摘もごもっともだろう。)