リンク元に変化が起こったので何かと思ったら

数カ所で、昨日書いた(2ちゃんねるとブログについて触れた)やつがリンクされてた。

健全かどうかは別にして、2ちゃんねるの方がどうも議論の場としてgeneralというかbiasが少ないように感じる、ブログよりは(笑)。

「議論の場」と「bias」がトリガーとなっている様子。
特に、「bias」の意味のとらえ方が違うのだろう。あえて、「バイアス」とか「圧力」という言葉を避けて、「bias」としたのだけど。
議論の結果、その結論が真に妥当かどうかにかかわらず、ある結論に至ったら、それがそこへ参加したメンバーの議論の成果であり、結果。そこには「bias」の概念は存在しない。声の大きいものの主張を許すかどうかは参加者が決めるもの。
2ちゃんねるの評価を個人的に「general」としているのは、ネタの信頼性の低いものは淘汰され、より共通性、普遍性の高いもので議論が盛り上がるところ。
ブログで始まる議論はそのブロガーのネタから始まる。
コメント欄で議論が始まった場合は、コメント記載者間の議論となることもあるが、ブロガーの意向に反する場合、ブロガー(ネタ提供者)対書き込み者となることが多い。
また、心理的にも、ブロガーのネタを否定する書き込みは失礼という観客の力が働きがち。なお、トラックバックの応酬による議論が発生した場合、1対1や1対多の議論はわりと成立しやすいが、多対多の議論は難しい状況にあるようだ。そして、その総括は、ネタ元が行っても、参加者の一人が行ってもさらには第3者が行ってもその人のまとめに過ぎないという雰囲気がある。
特にネタ提供(問題提起)のブロガーが自分以外のブログを引用して提起した際には問題が多いように感じる。その提起されたことに対し、例えば、反論する場合、そのブロガーの書いたことではなく、引用された部分を反論せざるを得なくなるケースがあるが、そうなると、その反論は引用された部分を書いたブロガーへの意見ということになってしまうこともある。引用された者がその議論に参加することを心よく思っている場合は建設的な議論が発展する場合もあるが、そうでないケースもあるようだ。そうなると、当初の問題提起に対する議論は継続できない。そういったことを考えていたら、2ちゃんねるの方が「bias」が少ないと感じた訳だ。それ加え、ブログはその保有者がコメントやトラックバックを簡単に削除できる一方で、書き込み者は自ら訂正、削除が出来ないものが多いし。

それと、一般的な議論について少々。
これは、BBS系でもブログ系でもそうだが、発言者の記録がすべて残る。特にブログ同士で行った場合、匿名であったとしても、○○さんの発言として議事録を起こされたような状況になる。
現実の世界では、実は個々の発言者の詳細な記録を残すような会議は限られている。特に政策的ではなく、技術的なものほど、個々の発言者のコメントは残さない。カメラが入ることや録音されていることがわかると席を立つ人間も少なくないようだ。
その理由は明確。よっぽどの記憶力の持ち主であり、かつ正確に話を伝える技術を持ち得る人間でない限り、100%誤りでない発言をすることが困難。議論は自らの主張をぶつけ、同じ専門家もしくは別の角度から意見を聞きながら、軌道修正を行っていくのが建設的だ。
参加者の議論の結果、最終的により確からしい結論が得られたとしても、個々の発言者の意見は議論の当初は間違いであったり、不正確だったりすることはままある。そのことが記録に残ると、下手するとあいつはおかしなことを発言したとその部分のみ指摘されて、その人物のプライドもしくは権威を傷つけかねない。
会議の趣旨としては、誰が何を言ったかはあまり意味を持たない。ベースとして○○が提起され、それに△△のような意見が出され、結果■■に至ったとすればよい。
そして、その導き出された責任は、出席者全員で共有する。

ネットで議論を行う場合、そのあたりの配慮はない。すると、どうしてもその議論の専門家もしくは当事者はその議論への参加を敬遠するだろう。もしくは、一旦参加するとしたら、自分の発言に問題がないように多大なる時間を費やさなければならないようになる。本業以外にそれだけの時間を費やせるような時間のある優秀な専門家なんてお会いしたことがない。皆、本業でせいいっぱいの状況だ。リスク対するベネフィットがあまりにも期待できないように感じる。
議論のたたき台を提供するブロガーはこれからもたくさん現れるだろうが、それが衆人環視の場である限り、実名あるいは実名に近い形で自分の専門分野についてコメントを寄せる専門家はあまり期待できないだろう。
そういった現実面での対処が技術でカバーできる状況になるのだろうか???