今日のキリン杯日本代表戦、見てきたわけではないですけど

ちょっと勢いをつけて書いたものほど、復旧は大変なんだということを知る。
ということで、サッカーのお話。
  
こっちで欧州サッカーの試合を観ていると、サッカー選手には大きく分けて2つのタイプがあることがわかる。
「俺の陣地に侵入をするものは虫一匹許さん。」というタイプと「おりゃ、おりゃ、隙あらば入っちゃうもんね、もう、入りたくて、入りたくて、もうたまらん。」というタイプ。これは、もって生まれた性分というか、本性というか、根性というか、習性というか、そんな極めて根っこの部分という感じなんですね。
といっても年がら年中、「陣地、陣地、ゴール、ゴール、行ったる、行ったる、待ってろよ、へっへっへっ。」とか、「入ってきたヤツは殺す。生きて帰ささねぇ」とか考えているわけではなく、ピッチに上がると豹変するわけですよ、テンションをあげて。
 
この二つのタイプがチーム内に揃っていて、また、それぞれが己を極めると、そりゃあ強いチームになります。
  
まぁ、それ以外にも、時折、将軍と呼ばれるタイプ、いわゆる仕切屋タイプがいるというか、責任感の強さとやはりこれも性分からなっちゃう人がいるんですね、今の中田英寿とか。
でもね、チームにはすでに将軍がいる訳ですよ、監督という。そして、欧州でいうところの監督の商売は「おりゃおりゃ」と「虫一匹」をきっちりと見極め、それを使いこなすことから始まるんですね。そうすると、もう一人の将軍様の存在は困るんですね、自分が将軍なんですから。いや、枯れてくるとそのあたりもうまくやるタイプの方もいますが、血の気が多いうちはお釈迦様のようにはなかなかなれないもので。それでね、尋ねる訳ですよ、お前はどっちなんだ、主として、本性として攻めるタイプか、守るタイプかと。(←なんかSMみたいですが、違います。)
そこで、いや、仕切りたいんですと言われると困るでしょう。いや、戦力豊富でもともと強いチームだったら、ある程度はいいんですよ、自主性に任せても形になってしまう。それぞれの判断で攻守を切り替えればいい。でもね、弱いチームだと、どっちに重点を置くかを決めておかないと、そうそう勝たせて貰えないんですよ、徹底的に守り主体か、それとも攻め主体のどっちがチームにあっているかを見極めておかないと。そんなことから、最近の中田英寿氏の最近の状況は仕方がないかなぁとか思っていたりします。
 
で、話を日本代表に戻すと、
これが、はっきりしないんですね、「おりゃおりゃ」なのか「虫一匹」なのか。
 
「おりゃおりゃ」ってすぐわかるのは、中村、大久保、久保あたりかなぁ、最近の高原も「おりゃおりゃ」度が高まってる感じだけど、でも、かわいい「おりゃ」って感じ。
中村あたりはトルシエによって、「おりゃおりゃ」に目覚めたんじゃないかという気がしています、欧州に来てから磨きがかかった感じもするし。それと、大久保のあのわかりやすさはやっぱりこっちでも受けますよ。中田も最初は「おりゃおりゃ」だったのでよかったのですが、だんだん薄れてきてしまってますよね、おそらく責任感の強さがそうさせてしまっているんだと思うんですけどね。
 
そうそう、わかりやすい例で言えば、かつてのジュビロ磐田とか鹿島アントラーズはわかりやすかったですね。「おりゃおりゃ」のゴンに「虫一匹」の秋田とか本田とか。
 
今のジーコ監督のやり方って、選手の自主性を重んじて自由にやらせながら、だんだんとその中でのルール作りというか、決め事を調整していく感じかなぁ。一方かつてのトルシエはしっかりと監督がルールを示すことによって規律を重んじ、その中で少しずつ個々の裁量とか発想を許して広げていくやり方。
「おりゃおりゃ」や「虫一匹」がはっきりしない日本にはどちらが合っているかと言えば、やはりトルシエが取った手法の方がよかったんじゃないあなぁと思うんですよね。しょっちゅうチーム練習が出来ないのであれば、より一層ルールがしっかりとしていないと、顔を合わせてから個々の間での調整が必要になる。決め事がないから長引く、そして、それぞれの考えを尊重する余りに最後は妥協という調整になる。
あいつは「おりゃおりゃ」だからここでは帰ってこないだろうから、俺がここを守るか、しんどいけど俺の性分がそうしろと言ってる、みたいな根っこでの理解を各選手が行えるように、監督がそれぞれを把握し、説明する、役目を振り当てる、従わせるということをしないとうまく回らないような気がするんですよね。
 
ゲームメークを考えるのはそれからでしょう。

ということで、6月の試合には調整が間に合うかどうかちょっと心配ですね、今の状況では。

この試合をもし落とすようなことがあれば、いよいよジーコ監督も危うい感じがしますね。ベ○○ルさんとかにコンタクトを取り始めた方がいいかも、いざという時を考えて。