ついさっきからおミサが始まった。

今フランスは午前1時前。
どこの教会でも現在おミサが行われている。
キリストの誕生からその後彼が受ける試練を振り返り、祈りを捧げる。
日本人である自分にとって、かつて西の地でそのようなことがあったのかも知れないが、だからといって心に染みる話ではない。ただ、その厳かでありかつ心穏やかなる瞬間は今の時代ほど人々にとって必要と感じるのもまた事実だ。
老いも若きも近所の人もそうでない人も知人もまったくお互い知らない人も一緒になって賛美歌を歌うというこの行事が例えば日本人であれば何に当たるのかすぐには思いつかない。
だからといって、司祭になるための過酷な競争や階級社会の上位に位置するものしか上へは上がれない世界を正当化するつもりもないが、一方で、上流階級の人間でないと金のことなど気にせず最大の道楽、放蕩を清く正しく行えるものでもないのではと思ったりもする。欧州社会では、生産性の低いつまり生業としてあまりにも金にならない宗教関係や学者などを目指すもしくは実際にそうであるものは上流階級に属するものが実に多い。そのあたりが、日米とは状況がかなり異なるように感じる。それで稼ごうと思ったとたんになにが起こるのかを彼らは長きに渡って経験してきているのだろう。
そんなことを考えながら、クリスマスの夜が更けていく。