正義、倫理、利益、自由、義務、権利
ここ数日日本でいろいろな事、しかも悲しい出来事が立て続けに起こっている。
台風、地震、イラクでの人質、そしてとある有名芸能人の事件。
そしてそれぞれに費やされる大いなるエネルギーにこんなにも遠く離れたフランスの地でも影響を受け、体力を消耗する。
その一つ一つに同じ日本人として真正面から向き合うべきと思ってはいるが、その得体の知れぬパワーに圧倒されてしまう。
いろいろな思いや考えがあるのは当然だが、それが収束していく過程において、失われるものがあまりに多いように感じてならない。
そして、一方で、正義、倫理、利益、自由、義務、権利についての個人の考え方が、あまりにも単一化されていくもしくは単一化すべきとの風潮に違和感を覚える。調和と単一化は似ているようでまったく異なることなのに。
自分の主義、主張、価値観とは異なる他人の存在を同時に認められる受容性を若いうちから育む必要があるように感じる。
訴訟中心のこれまでの米国型よりは、保険中心の欧州型の方が、懐が深く、また、人に優しくなれると個人的には思う。米国も訴訟多発の社会からの脱却に、いま多くのエネルギーを費やしていると聞く。権利にこだわり続けた古い米国に追従するかの日本の一般社会の意識の変化は、世界から取り残される可能性が高いことを心配する。
競うことではなく争って得られるものは多くはないことに早く気づいた方がいい。