驚いた、「コップ半分の水を見て - My Life Between Silicon Valley and Japan」には。

このエントリーでは、以下のようにまとめられている。

本欄では元々の趣旨通り、ITの世界における「変化の予兆」を察知して「チャレンジ」することに面白さを感ずる人たちに向けて、「おっちょこちょい」を承知の上で、新しい「変化の予兆」に一喜一憂してみようと思っています。

ITの世界における変化の話であると。
 
いったい、日本の大企業、大組織のうち、IT界の産業がどれくらいを占めるのか、そして、それらの企業の40代、50代というのはさらにどれくらいの割合を占めているというのだろうか。
yahooやgoogleやamazonを引き合いに出すが、マイクロソフトを含めても、これらの企業にどれくらいの40代、50代がいるのか。
日本のソフトバンク楽天ライブドア、Exciteなどの企業にどれくらいの40代、50代がいて、どのようにボトルネックとなっているのか。
前提がわからなくなった。
そして、IT産業以外が今後衰退に向かうとでもいうのか。
10年後の世の中は、衣食住の産業はいらないのか。
医薬はどうなのだ。
環境問題はIT産業が解決してくれるのか。食糧危機は回避されるのか。
アフリカの飢饉や病気の蔓延はITにより救われるのか。
確かにコンピュータネットワーキングの発達により、知の共有化は進むようになった。
が、しかし、遺伝子レベルでの各分野の研究開発は今始まったばかりだ。今試行錯誤にある研究、知の集積を行っている分野は決して開かれたネットワーク上にあるわけではない。これまでの知のうち、公開可能になったものだけが提供されているだけの話だ。
まだまだデータを統計的に処理するための技術は成熟していない。いや、成熟しないというよりも、成熟できないのだ。
羅列されたデータのエラー、特異データの峻別、ねつ造データ、恣意的なデータを見破るだけの経験値は残念ながら上がっていない。
今各分野のフロントランナーたちはその世界においてもがき苦しんでいるのだ。
 
人間が生物である限り、食べ、暮らし、新たな生命を育み、そして死んでいくことから逃れることは出来ない。そして、産業の根本はそこに関連したところにある。
いくらうまい飯を食わせる店をネット上で網羅したからと言って、うまい飯をこしらえる人間がいなくなったら終わりなのだ。
コンピュータ上にいくら音源があったって、画像があったって、感動を求めて人はコンサートに出かけるのだ。美術館に絵を見に行く。
 
この10年でIT産業はこんなに伸びて資産総額が大きくなったという。でも、たった10年のことだ。10年後にさらに伸びているとどうして確信できるのだろうか。

バベルの塔を目指していることにならないかと憂う。せめて、サグラダ・ファミリア止まりであってくれたらとも。
 
若い人にはヴァーチャルな世界よりは現実世界にもっと目を向けてくれたらと思う。ヴァーチャルな世界には資源の枯渇はないが、現実世界には十分あり得ることだからだ。
 
欧州が、そして米国までもが次のフェーズへと向かっているのだから。
  

よく寝た。

ようやく、最近の暑さにも慣れ、くそ暑くても眠れるようになったantiECO。
 
昨晩はよく眠ることが出来ましたって、あれ?、お持ち帰りの仕事も、この日記に最後に掲載しようとしていたものも処理できていない。
 
ま、いいか。
 
しかし、2ちゃんねるにエントリーを一つ晒されたらしい、アニメ関係のやつかな。まぁ、ちょっと増えたくらいだから、いいか。それよりも、やるべきことをやらねば。
 
といっても今日も32℃。北海道よりも北に位置してるってのにまったく。