先祖代々の墓を守るのは誰ですか?

 生活保護という話から、ふと思い出したことがあります。私の父の世代は兄弟が多く、長男一家を残して皆家を出ました。例え長男が家を出たくとも、先祖代々の墓を守り、家督をついで、その土地にとどまりました。
 本家といえば聞こえがいいですが、都会に出ることもなく、慶事、法事をかかさず、その際には親戚一同を迎え入れて一席を設け、近所で生活に困った人がいれば、米や醤油だけでなく、生活の面倒をみて、いつ訪問しても食事やお酒をふるまい、家業に黙々と精を出す。そして、年老いた親の介護をし、そして最期を看取る。場合によっては、出稼ぎに出かけたりもする。社会の教科書にも農家の出稼ぎの話がしっかりと載っているそんな時代がありました。一方で、次男坊以下は都会に出て、新しい人生を、生活を一から築き上げる。
 かつての日本はそんな感じだったと記憶しています。
 先祖代々の土地が道になり、宅地になり、また公民館や大型ショッピングセンターになったりもしました。一方で地方へのバラマキだと言われ、また兄弟でその財産の相続を巡り争いになったりもしました。
 いつの間にか都会の人口が増え、比率として本家と呼ばれる家庭は減り、田舎に老人とわずかな本家が残される時代を迎えました。
 そして、都会では独立した家庭は増えたものの、子供の数は減り、皆が総本家のような状況を迎えつつあります。ただ、昔の本家と違うのは、もし生活が困ったときに頼ることが出来る先があまりないということでしょう。なので、生活保護や老後の年金がとても重要な命綱と感じるようになってきたようです。
 昔はよかったと振り返るつもりはありません。私だって分家した親の子です。ただ、このまま高齢化し、そしてたくさんの老人が増え、そして最期を迎える、今は団塊の世代が引退することの社会不安がありますが、団塊の世代のみなさんが大量に最期を迎えるそのときが、本当の節目となるかも知れません。
 かつての日本から今の日本にここ数十年で大きく変わったときのように、大きな時代の転換がそのとき起こるのでしょう。都会にはお墓が溢れかえるかも知れません。
 そのとき、この彼らの墓はいったい誰が守るのでしょう?
 新たに造成された広大な墓地の中で果たして目的のお墓にたどり着くことが出来るのでしょうか?
 40代になると、ふとそんなことを考えるようにもなるものです。
 地方を含めた今後の日本のあり方を考え、実行するために我々に残された時間は実はもうあまりないのかも知れません。そう考えると、ネット時代のピークはもう過ぎているように思えたりもします。あと10年をどう過ごすべきか、ちょっと考えてみようと思っています。